(註:2025年12月26日に、我が国の特定秘密保護法に関する「運用基準」(閣議決定)が変更されたので、本文に加筆をしました。加筆部分は太字。)
最近、スパイ防止法制の整備の機運が盛り上がって来ています。例えば、2025年10月に発足した高市自民党内閣の「日本維新の会」との連立政権合意書には「インテリジェンス・スパイ防止関連法制の策定」が記載されています。ところで、スパイ防止法制というと、スパイ行為に対する罰則強化を連想する人が多いのですが、スパイ防止のために必要な制度や法律は、多面的且つ重層的なもので、罰則強化に限られません。
そこで、米国における取組を、純粋防御、積極防御、攻撃的防御に分けて列挙してみます。第1に純粋防御面では、①秘密指定制度、②防諜・保全担当部署の整備、③人的保全(Personnel Security、セキュリティ・クリアランスなど)、④物的保全又は施設保全(Physical Security)、⑤情報保全(Information Security)などがあります。第2に積極防御面では、脅威(スパイ行為)を探知し解明した上で、実害が生じないように関係者に秘密裡に警告するなど必要な防護対策を取る、或いは、検挙摘発して脅威を排除することです。第3に攻撃的防御面では、脅威国の諜報組織に浸透して、その中枢情報を入手した上で対策を行うことです。これらの対策を総合的に実施する必要があるのです。
我が国では、セキュリティ・クリアランスなど人的保全面では、2013年に特定秘密保護法が制定されて国際標準に達したという誤解が一部にありますが、実は国際標準には程遠いのが現状です。ここでは、米国のセキュリティ・クリアランスと背景調査の骨子を紹介して、我が国との違いを示したいと考えます。
1 セキュリティ・クリアランスの流れ
最初に、セキュリティ・クリアランスの大きな流れです。米国の場合には、本人がスポンサー省庁を経て申請します。申請に基づき、背景調査が行われて、審査裁定されるという構造になっています。これに対して日本の場合には、本人が自分から申請するのではなく、特定秘密にアクセスする必要のある職務に就いた人に対して行政側が告知をし、本人の同意を得て、調査が行われる。そして、評価が行われるという構造になっています。
【2025年改訂前】日本の特定秘密保護法に関する「運用基準」を素直に読むと、基本は、本人が28頁程の質問票に答えて、上司等が調査表(実質たった2頁)で問題なしと報告するとクリアランスがもらえる構造になっています。但し、疑念が生じた場合には、上司、同僚等への質問、人事管理情報等の確認や本人の面接が行われます。それでも疑念が解消されない場合には、公務所や民間への照会が行われますが、その調査方法も調査事項も限定されています。 そもそも米国の、そして世界のセキュリティ・クリアランス制度は、上司による評価では対象者の全体像を把握することはできず不十分であること、を前提に構築されているのですが、我が国では、上司による評価のみを基にセキュリティ・クリアランスが出せる制度であり、基本的な前提思想に問題があると評価せざるを得ません。
【2025年改訂後】 2025年の「運用基準」の改正により、本人の質問表と上司等の調査票に加えて、①人事管理情報等による確認(職歴、懲戒の経歴、情報の取扱いに係る非違の経歴その他人事管理業務等と通じて得られた情報)、②公務所又は公私の団体に対する照会(海外に居住し又は渡航した経歴、犯罪の経歴、信用状態その他の事項)、③適正評価実施担当者による本人面接も、実施されることとなりました。そもそも、これらの事項は当然に実施されるべき事項であって、選択的であった改訂前の「運用基準」が異常だったのです。これで正常なクリアランス手続に一歩前進したと評価できるでしょう。但し、「運用基準」によれば、③の本人面接は、「勤務地が遠隔地にあるなどの事情があるときは、評価対象者の負担軽減のため、通信の方法により実現して差し支えない。」とされています。つまり、ZOOMなどのウェブ会議方式でも可とされており、まだまだ手続に甘さが見られます。 それでは、これから審査や背景調査の実態について見ていきます。
2 適格性審査指針
適格性の審査指針ですが、米国の場合は、現在有効な指針は2017年の保全行政責任者指令第4号「国家安全保障審査指針」です。政府の保全行政責任者は国家諜報長官(DNI)です。
審査指針のポイントは、先ず「全人格的評価」です。全人格的評価「the whole-person concept」とは何でしょうか。それは全人格「whole-person」が審査対象であり調査対象であるということです。ですから、要するに、プライバシーはないのです。「この部分はプライバシーだから言いたくない」ということは許されない。全人格を開示することが基本です。 或る元CIA職員の回想によれば、CIA入庁時にセキュリティ・クリアランスのための面接でポリグラフを装着した上で諸々の質問を受けましたが、その中で「貴方は奥さんに何か隠していませんか」と質問されました。実は彼は過去に浮気をしたことがあり、それを奥さんに隠していたのです。彼は正直にその事実を述べた結果、セキュリティ・クリアランスを得てCIAに採用されたと回想しています。私生活上の秘め事も弱点となり得るのであり、これを梃に脅迫を受ける可能性もあります。従って、セキュリティ・クリアランスの調査では隠してはいけないのです。 これに対して、我が国の「運用基準」を見ると「全人格的評価」を否定していると解釈せざるを得ない記述となっています。
次に、米国の審査指針はAからMまで13項目ありますが、具体的で詳細です。これに対して、我が国の「運用基準」では特定秘密を漏らす虞がない基準として7項目挙げられていますが、どれも概括的で抽象的な文言です。
興味深いのは審査項目EのPersonal Conduct「個人の品行」です。解説によれば、審査指針13項目の他の特定項目に該当しなくても、その人の全人格を見てクリアランスを与えるべきではないという場合には与えない、それが「個人の品行」の審査項目に該当するとしています。つまり「個人の品行」がクリアランスを拒否する一般条項として使えるようになっていることです。
審査項目の冒頭Aは「米国への忠誠心」です。そもそも近代民主主義国家では、国民は国家に対する忠誠の義務を負うというのが世界標準の基本理解です。秘密保全の一番の動機付けは、国家に対する忠誠心をしっかり持って自国を裏切らないことです。この点は米国側のどのような関係文書を見ても、秘密保全では国家に対する忠誠心が重要であると明記しています。これに対して我が国の「運用基準」では、「国家への忠誠心」という言葉はどこにも見当たりません。極めて対照的であり、我が国の特異性を顕しています。
審査項目で、特に力点が置かれているのは、Bの「外国からの影響」とFの「経済状況」の2つのようです。過去のスパイ事案を見ると、「外国からの影響」の要因が一番大きく、次に「経済状況」で金欲しさに自発的にスパイになっている者が多数います。
B「外国からの影響」では、本人自身は当然として、本人に影響を与え得る人に「外国からの影響」を行使する人はいないかを見ています。 具体的な懸念事由が、現実にあった過去のスパイ事案の典型的な事例を基に記載されています。先ず、外国籍または外国居住の家族や友人との接点が弱点にならないかという懸念です。米国は移民の国ですから、出身国から家族などの代理人と自称する人が来て、「協力してくれないか。協力してくれないと、おたくの家族の将来は暗いよ。将来はないよ」などと脅迫されて協力する訳です。 また、出身国に対する愛着が、秘密を提供して支援したいという心情を生むことも、現実にありました。戦後の特に中国関係の対米スパイは結構これが動機です。核兵器開発では中国出身の大物研究者が2人逮捕されていますが、彼らは米国に帰化して、セキュリティ・クリアランスを持っていたのですが、それでも、「祖国のために協力してくれ」と頼まれて情報を提供したのです。 その他、同居人とか、本人あるいは親族の外国での事業や財産が弱点にならないかという懸念事由もあります。また、国外旅行や居住の際に脅迫や圧力を受ける弱点を握られていないかという懸念事項もあります。一頃有名になった、上海のカラオケ・クラブ「かぐや姫」のような所で現地の女性と懇ろな関係になってその証拠を握られていないかというようなことです。そういうことも含めて詳しくチェックする構造になっています。
3 質問票
本人に情報提供を求める質問票は、審査指針を前提として作られています。米国の質問票は「様式86」(Standard Form 86)ですが、これは136頁もある詳細なものです。丹念に読んでいくだけでも相当疲れます。 質問票の特徴の第1は、虚偽事実を書いたり、必要事項を申告しなかったりした場合は、刑事罰(拘禁刑5年以下)の対象になる、また免職事由にもなることで、「様式86」にはこの点について4回も記載してあります。そして質問票の最後には、「理解し確認しました」と署名させられます。このように反復して警告しているのです。これに対して、我が国の「運用基準」別添の「質問票」(28頁)では、「適性評価の結果に影響を及ぼすことがあります」という記載が1回あるだけです。我が国では、虚偽記載について、刑事罰も免職もないということです。大きな違いです。
第2に、「様式86」は、背景調査や審査の実態と連動した質問票になっていることです。136頁もあり、質問項目は広汎・詳細です。また、人間性悪説に立った質問構成となっています。記入者は嘘をつくのではないか、不利になることは書きたくないだろうという前提で、読んでいて本当に呆れるくらい同じ趣旨の質問が繰り返されています。書くべきことを書かなかったことが発覚したときに「不注意で書きませんでした」という抗弁ができないように、同じような質問が、少し言い方を変えて続いています。書くべきことを書かないことを許さない、そういう質問構造となっているのです。
中でも興味深いのは、様々な人物の連絡先です。過去10年間の居住地の隣人、職場の上司、学校の教師や知人、その他本人を良く知っている人、更に、離婚した配偶者全員の人定と連絡先を提供させられます。これは全て面接調査が前提です。ですから、離婚相手に相当悪い印象を残していると、クリアランスを得るのは厳しくなります。また、親族に外国籍者がいる場合は、日本では申告さえすればいいのですが、米国では、どういう接触をしているかとか、過去何回ぐらい会ったかとか、その者との実際の交流を詳細に記載しなければなりません。また、本人・配偶者と親しい外国人との交流状況の詳細を記載しなければなりません。更に、配偶者の外国の株式、財産、投資についても記載しなければなりません。更に、外国ビジネスへの関与、これは日本にも項目はありますけれども、米国の方が遥かに詳細に記載しなければなりません。このように、質問項目が非常に詳しくできています。
4 背景調査機関・審査裁定機関
背景調査機関にですが、米国の背景調査で、一番大きな役割を果たしているのが国防防諜保全庁(DCSA)です。2016年時点での公表資料によると、職員は8,500人、うち契約職員は5,500人で、105の省庁機関からの背景調査を受託し、全連邦政府の調査の95%を実施しています。他に自前で背景調査を実施している機関としてはFBI、CIA、国務省、国土安全保障省などがあります。例えばFBIは、正規職員の調査員の他に背景調査契約サービスという組織を作り、契約職員1,800人を雇っています。大多数はFBIのOBのようで、OB契約職員の手記を読むと「これは非常に良いパートタイムジョブだ。勤務時間が限定されている上に、年収も2~5万ドルと良い仕事だから、やったほうがいい」と後輩に勧めています。 興味深いのは、背景調査受託企業も数社あることです。OmniplexとかCACIとかいう企業があります。その上「認定背景調査員協会」という背景調査員の業界団体まで存在しているのです。背景調査は、ニッチな産業ですが、FBI、警察関係者、治安関係者、インテリジェンス関係者の退職後のバイト先、一つの産業になっているという実態があります。
これに対して審査裁定機関は、大体各行政機関が自機関の防諜・秘密保全組織内の人的保全担当組織で実施している例が多いようです。
5 背景調査
次に背景調査ですが、先述した詳細な質問票を基になされます。 背景調査には、アクセスできる情報の秘密区分によって幾つかのレベルがありますが、ここでは、Tier 5(第5階層)、通称SSBIという最高度のクリアランスのための背景調査について述べます。インテリジェンス関係者は、機密情報や「機微区画情報」(SCI:Sensitive Compartmented Information)にアクセスする必要があるので、Tier 5、通称SSBIのクリアランスは必須です。
調査項目は多岐に及ぶのですが、特色は、多くの事情聴取、面接を前提にしていることです。本人の事情聴取。それから、過去3年間に学校に通っていれば、学校の関係者の事情聴取。職歴については、過去7年間、同じ企業でも勤務場所ごとに上司と同僚からの事情聴取。更には過去10年以内に離婚した配偶者全員から事情聴取をします。また、過去3年間の居住地ごとに隣人2人以上から事情聴取をすることになっています。その他に、一般的な人物評価ということで4人以上から事情聴取をしますが、これは他の項目の事情聴取者とは別人で、且つ、事情聴取の相手も2人以上は調査官が独自に選定する必要があります。事情聴取の対象者は、本人が記載した質問票「様式86」を基にするのですが、各調査項目を見ると、本人が記載した人物以外の者も面接して事情聴取をするようになっています。本人が記載した本人に都合の良い人物ばかりの面接では駄目という仕組になっています。
その他、地方機関照会や国家機関照会で、地方の警察の記録や、国家機関が保有する各種データベースにも照会しますが、FBIに対する照会は、指紋照会、犯歴データベース照会の他に、調査データベース照会という「国家安全保障調査」で収集したデータベースも照会対象と明記されています。
更に、ポリグラフ検査です。CIA、NSA(国家安全保障庁)、NRO(国家偵察局)やFBIのNational Security Branch国家安全保障部門(米国のセキュリティ・サービス)など、バリバリのインテリジェンス機関は殆どポリグラフを使った事情聴取を行っているようです。
因みに、背景調査の受託料金表があります。先ほど説明した国防防諜保全庁(DCSA)が他の省庁から背景調査を請け負うときの料金表です。2025年度は、機密レベルの背景調査の基本料金は標準が5,355ドル、プライオリティー(優先処理)が5,785ドルです。追加調査には追加料金が掛かります。この人は怪しいからもう少し事情聴取をして欲しいと追加で調査を依頼すると1,000ドル上乗せとか、追加調査の項目毎に追加料金表があります。結構、費用が掛かります。
6 報告義務
以上が米国のセキュリティ・クリアランスの骨子ですが、最後に、報告義務について述べます。秘密情報にアクセスする者は、事ある毎にリスク事象の報告義務があるのです。セキュリティ・クリアランスのための質問票「様式86」に記載する必要があるような事象、つまり、私的な外国旅行、外国人との継続的交際、外国銀行口座や外国資産など外国関係の活動、臨時収入、結婚、同居人などは、保全担当者に対して事ある毎に報告しなければいけません。重要なのは、「事前に又は可及的速やかに」報告する義務があることです。当然、結婚も事前に報告を要求されます。もちろん、相手が好ましからざる人物だった場合、米国では結婚するなとは言いません。単に、「あなたはクリアランスが取り消されますよ。どうするのですか」と言うだけの話で、米国ではクリアランスを取り消されると自動的に失職する可能性が高いので、相当の覚悟がいるということです。
我が国ではセキュリティ・クリアランス付与時に職員が提出する誓約書で、一定の事項(「運用基準」Ⅳ9(1)ア)についての事後報告を誓約させていますが、「事後」報告であり、報告対象事項も大幅に少ないのが実情です。2025年の「運用基準」改正によって、上司等は、面談等の機会を活用して年1回以上、一定の事項に該当する事情の有無を確認することとされました。改訂前は、そもそも該当事情の有無の確認すら制度化していなかったということです。正に人間性善説に基づく制度設計と言わざるをえません。
以上、米国のセキュリティ・クリアランスと背景調査の骨子を紹介しましたが、我が国との間には相当の違いがあります。米国ではこのような厳しい制度を運用していても、それでも外国のためにスパイ活動をする者は跡を絶たず、FBIによる検挙も続いています。さて、我が国での検挙事例は少ないですが、セキュリティ・クリアランスが米国ほど厳しくない現状では、情報漏洩対策が十分でないことだけは確かでしょう。
(以上)
(註)本トピックは、2023年9月警察政策学会シンポジウムでの講演の記録「米国のセキュリティ・クリアランスと背景調査」をトピック形式にまとめ直し、一部内容を補正したものです。 また、セキュリティ・クリアランスについては、2022年5月に元DNIの自民党調査会における発言の意味2(セキュリティ・クリアランス)を掲載していますが、本トピックはここで指摘した内容を更に詳しく記述したものでもあります。