「クリプト社作戦」とは、米国が遂行した20世紀最大の暗号解読作戦であり、インテリジェンスの大成功事例です。また、NSAのハッカー集団TAOが行うコンピュータ網への浸透工作の手法の1つに「物理的侵入」があり、更にその中に「製造企業工作」ありますが、「クリプト社作戦」は20世紀におけるその先進例です。その概要と成果を紹介します。
1 「クリプト社作戦」
クリプト社は、スイスに本社を置く世界的な暗号機メーカーであり、その暗号機は20世紀後半から今世紀にかけて実に世界の120カ国以上で使用されていました。 そもそも性能の良い暗号機を製作することはそれ程容易ではなく、第二次世界大戦後、自前で暗号機を製造できたのは、欧米先進国と共産主義国位でした。戦後、独立したアジア・アフリカの多くの国々や中南米諸国の多くは、外交・軍事通信に外国民間企業の販売する暗号機を使っていました。その中でも、クリプト社の製品は「性能」が良く且つ同社が「中立国」スイスに所在することもあり、最も普及した製品です。 ところが実は、クリプト社は60年以上にわたり暗号解読で米国NSAに協力してきたのです。従って、クリプト社の暗号機を採用してきた国々の外交・軍事通信は、NSAによって解読可能であり、その情報成果は多大でした。
2 クリプト社と米国の協力時代(1950年代~1970年)
クリプト社とNSAの協力は、クリプト社経営者ボリス・ハーゲリンと米国「暗号解読の父」ウィリアム・フリードマンとの友情が切掛けで始まりました。 ハーゲリンはスウェーデン人で、第1次世界大戦後に暗号機メーカー・クリプト社を経営していましたが、1930年代にC-36という機械式暗号機を開発しました。この暗号機は、電力不要の軽量可搬型で、暗号強度は必ずしも高くはなかったものの、戦場での使用には最適でした。ハーゲリンは、この暗号機の売込みのため米国を訪問し、そこでフリードマンの知遇を得て友人となりました。第2次世界大戦が勃発するとハーゲリンは渡米し、そこで暗号機C-36を改良して戦術通信用暗号機M-209を開発しました。これを米陸軍が採用したため大戦中14万台も生産され、その結果、ハーゲリンは特許料860万ドルを得て、暗号機事業で世界初めて百万長者になったのです。
ハーゲリンは大戦後、クリプト社をスイスに移転し暗号機の開発を続け、1951年にはCX-52という新製品を開発しました。これは暗号強度が高く、米国シギント機関でさえ解読が困難なものでした。本製品が世界に幅広く販売されると、米国としては世界各国通信の暗号解読に支障を来すことになったのです。
そこでフリードマンがハーゲリンに対して、二人の友人関係を基に、クリプト社の最新暗号機の販売対象国を制限するよう依頼したのです。ハーゲリンは、大戦中に米国のお蔭で百万長者になった恩義もあり、販売制限の紳士協定に応じたのです。 1954年2月に合意された紳士協定の内容は、今なお全ては開示されていませんが、概要は次の通りです。クリプト社は、
・ 開発中を含む暗号機とその技術情報をNSAに提供する。
・ 暗号機の世界各国への販売状況についての情報をNSAに提供する。
・ 最新式暗号機の販売時期を調整し、必要に応じて延期する。
・ 特定国への販売は(解読容易な)旧式暗号機に限定する。
これに対して、NSAはハーゲリン一族に対して種々の便宜を図った他、最新式暗号機の販売機会の損失補償などの名目で、金銭的対価を支払っています。
1950年代の協力関係はこの不文の紳士協定によっていましたが、1960年にはそれが特許契約という形で文書化されました。それによれば、クリプト社はNATO諸国とスイス、スウェーデンには最新式の解読困難な暗号機を自由に販売できるが、他の諸国に対しては国別に販売できる暗号機の種類(即ち性能)が制限されました。その代償に、米国はクリプト社の全ての暗号機に対して特許料を払うという取決をしました。特許料は一時払いを含め1960年代10年間で軽く100万ドルを超える巨額でした。 この段階でのクリプト社の協力は、いわゆる「拒否作戦」であり、NSAが解読不能な高度な暗号機を販売しないという協力でした。
ところが、1960年代半ばには電子回路が発達し、暗号機も従来の機械式暗号機から電子式暗号機への変換が迫られましたが、クリプト社には電子回路についての技術力が不足していました。そこで、NSAが秘密裡に支援して、1967年に最初の電子式暗号機H-460の販売を開始しました。この電子回路はNSAの技術者が設計したもので、一見すると無限乱数で解読不能に見えますが、実は有限乱数であってNSAのコンピュータで解読可能なものであったのです。他方、クリプト社の一見高性能に見える電子式暗号機は、諸外国政府の需要は高く売上は急増しました。 NSAが暗号機の回路設計を開始することにより、クリプト社作戦は、弱点を仕込んだ暗号機を販売するという「積極工作」の段階に入ったのでした。
3 米国によるクリプト社所有へ
(1)米独によるクリプト社共同経営時代(1970~1993年)
1960年代末には、ハーゲリンも80才近くと老齢に達し、クリプト社の事業承継を考えるようになり、結局、米独両国による共同買収となり、1970年に秘密裡にクリプト社の全株式が米独両政府に譲渡されました。米国CIAとドイツBNDが買収費用を折半して全株式を取得し両者の合意の下に運営することになりましたが、形式上はBNDの偽装したフロント企業が所有する形を取りました。 そのため、クリプト社では、取締役の内一人しか米独諜報機関との関係を知らないなど、他の従業員に対しては、協力関係は秘匿されていました。
なお、諜報機関は企業経営には疎いので、民間企業を引き込みました。ドイツはジーメンス社を引き込み営業と技術問題について助言を得るようにしましたし、後に米国はモトローラ社を引き入れ技術支援を得るようにしました。クリプト社は、米独諜報機関と両民間大企業の支援を得て急成長し、1975年には売上高5100万スイス・フラン、従業員数250人以上となりました。
クリプト社の暗号機の、アルゴリズムは当初NSAから提供されていましたが、従業員には協力関係にあるジーメンス社から提供されていると説明されていました。その後1979年には、CIAとBNDはスウェーデン諜報機関の推薦を受けて、スウェーデンの数学教授で暗号学の大家ヘンリー・ウィドマンを技術顧問に招聘ししましたが、その役割は、クリプト社の開発部門が気付かない高度な弱点を暗号アルゴリズムに仕込むことでした。
(2)米国単独のクリプト社経営時代(1993年~2018年)
ところが1993年には元クリプト社員が米独諜報機関との関係を疑い告発を始め、またドイツ再統一という国際関係の変化もあり、同年ドイツBNDは政治的判断からクリプト社の経営からは手を引き、その後は、米国による単独経営となったのです。
1990年代には新たな暗号通信方式が発達し、次第にクリプト社製暗号機の販売は減少しましたが、それでもインテリジェンスの情報収集手段としては有効だったそうです。それは、各国政府の官僚制の惰性によるもので、特に発展途上国ほどクリプト社製品を惰性で使い続けたといわれています。 しかし、暗号技術市場がハードウェアからソフトウェアに移行すると、遂にクリプト社も営業成績が悪化し、2018年に会社を分割譲渡して解散しました。
4 「クリプト社作戦」の情報成果
さてこのように、NSAとBNDは、「クリプト社作戦」によって、外交・軍事通信の暗号解読という大きな成果を得ていましたが、その実態はどうでしょうか。
(1)クリプト社暗号機の使用国
クリプト社製暗号機の使用国は、1950年代から2000年代にかけて120ヵ国以上に及んでいました。要するに、自力で高度な暗号機を開発製造できる欧米先進国と共産主義圏を除いて、世界の殆どの国々が使用したということです。代表的な使用国名を挙げると、次の通りです。
〇 米州:アルゼンチン、ブラジル、メキシコ、ニカラグア、ベネズエラ
〇 欧州:イタリア、スペイン、オーストリア、ポルトガル、ルーマニア、ギリシャ、トルコ、バチカン市国、ユーゴスラビア
〇 アフリカ:リビア、アルジェリア、エジプト、エチオピア、モロッコ、ナイジェリア、コンゴ共和国、南アフリカ、スーダン、チュニジア、ザイール、
〇 中東:イラン、イラク、ジョルダン、サウジアラビア、クウェート、レバノン、オマーン、カタール、シリア、UAE
〇 アジア:インドネシア、韓国、インド、パキスタン、バングラデシュ、ビルマ、タイ、ヴェトナム、マレーシア、フィリピン
なお、ソ連や中国など共産主義国はクリプト社製暗号機を使用しませんでしたが、クリプト社製暗号機を使用する諸国の在モスクワや在北京の大使館と本国間の通信を解読することによって、ソ連と中国について相当の情報を入手することができたそうです。
(2)全盛期・米独共同経営期間(1970年~1993年)の情報成果
漏洩資料に拠れば、米独共同経営の期間中、米NSAの暗号解読の40%以上が「クリプト社作戦」の成果であり、代替不可能な重要な情報源であったといいます。また独BNDにとっては、その外交関係諜報報告の90%が本作戦の成果であり、本作戦が米独諜報協力の根幹であったといいます。 NSAはシギント機関であり、その通信暗号解読の40%以上が本作戦由来であったという事実は、米国インテリジェンスに対する貢献度は極めて高いものがあります。ところが更に、BNDはオールソース・インテリジェンス機関であり、ヒューミントを含む全外交関係諜報報告の90%が本作戦由来であったという事実は、BNDの外交諜報源の殆どが本作戦であったということです。ドイツにとって如何に大きな位置を占めていたかが分かります。
地域別では、1980年代、NSAのGグループ(ソ連圏とアジアを除く全世界担当)の諜報報告の50%以上は、クリプト暗号機解読由来であったと言います。クリプト社の暗号機の大口購入国は、1981年時点でサウジアラビア、イラン、イタリア、インドネシア、イラク、リビア、ジョルダン、韓国の順でした。国別で成果が大きかったのはイランであり、本作戦のお蔭で、イランの諜報対象の80~90%の通信は解読可能であったと言います。
(3)個別の情報成果
「クリプト社作戦」の情報成果を、個別具体的な事例で見てみましょう。
〇 1978年キャンプ・デービッド会談(エジプト通信解読)
1978年9月、米カーター大統領が仲介して大統領別荘キャンプ・デービッドで、エジプトのサダト大統領、イスラエルのベギン首相を迎えて、両国の和平交渉が行われました。この交渉では、エジプトのサダト大統領とカイロ間の通信を米NSAが傍受して、エジプトの交渉の本音に関して情報を入手したのです。
〇 1980年イラン米大使館員人質の解放交渉(アルジェリア通信解読)
イラン革命防衛隊に指導された学生達は、1979年11月テヘランの米国大使館を占拠して大使館員52人を人質に取りました。この人質の解放交渉ではアルジェリアが仲介したのですが、アルジェリアはクリプト社の暗号機を外交通信に使用していたので、NSAはアルジェリア本国と在イラン大使館間の秘密通信を解読できたのです。当時のNSA長官ボビー・インマンによれば、この解読情報は、当時のカーター大統領にとって、イランの状況を把握して人質解放交渉を管理するために絶対的に重要な情報であり、カーター大統領はNSA長官に対して頻繁にアルジェリアの通信情報を要求したといいます。
〇 1982年フォークランド戦争(アルゼンチン通信解読)
アルゼンチン沖のフォークランド諸島は19世紀以来英国が海外領土として実効支配していましたが、領有権を主張するアルゼンチンが1982年に軍事侵攻し占領しました。これに対して、英国は米国やEU諸国の支援を受け、軍事作戦を展開して同諸島を奪回したのですが、その際、アルゼンチン海軍がクリプト社の暗号機を使用していたため、米国NSAが解読情報を提供し、英国が情報優位に立ち戦勝に貢献したといいます。
〇 1986年西ベルリンのディスコ爆破事件(リビア通信解読)
1986年4月西ベルリンのディスコ「ラ・ベル」が爆破されましたが、同ディスコは駐留米国兵が良く集まる場所であったため、米兵多数が死傷しました。これに対して、レーガン大統領(当時)は、米国はリビア関与の証拠を握っている、その証拠とは事件1週間前に東ベルリンのリビア大使館が攻撃命令を受領し、事件翌日には(リビアの首都)トリポリに任務達成報告をしていることであると述べました。そして同月、米軍が報復措置としてトリポリを爆撃したのです。 リビアもクリプト社の暗号機を使用しており、米国NSAがトリポリと東ベルリンの外交通信を傍受解読していたのです。
〇 1989年パナマの独裁者ノリエガ将軍の所在把握(バチカン市国通信解読)
パナマの独裁者ノリエガ将軍は1989年5月の選挙で敗北したにも拘らず、そのまま居座ろうとしましたが、米国は米海兵隊員の殺害等を理由にパナマに軍事侵攻してノリエガ政権を倒しました。ノリエガ将軍はバチカン市国大使館に逃げ込んだのですが、それを探知され投降しました。ノリエガ将軍のバチカン市国大使館潜伏を探知できたのは、NSAがバチカン市国と在パナマ大使館の間の通信を解読したためです。
どうでしょうか。「クリプト社作戦」は、このように極めて重大なインテリジェンス作戦で、度々、歴史の流れに影響を与えています。我が国では、余り知られていないようですが、インテリジェンスが歴史を動かすことが理解できるのではないでしょうか。