レーガン米大統領暗殺未遂事件の際のSSシークレットサービス大統領警護課長ジェリー・パー氏は「レーガン大統領の命を救った男」と呼ばれており、2013年に回想録『In the Secret Service』を出版しました。警察庁OBの立花昌雄氏は、そのパー氏の友人でしたが、我が国の要人警護に参考になるのではないかと考え、2年前に同書を翻訳出版(邦題『シークレットサービス』したそうです。
安倍首相暗殺に伴い警護の在り方が注目されている時でもあり、SSの警護手法を知るために有益な本です。本書から抜粋して、レーガン大統領暗殺未遂事件の際の大統領警護課長ジェリー・パー氏の行動を見てみましょう。
1981年3月30日、レーガン大統領はワシントンDCヒルトンホテルでの行事に出席。終了後にホテルから大統領車(防弾)に向かったが、その際のSSの身辺警護隊形は、大統領の直後左右18インチ(45cm)の距離に警護課長と防弾板を持ったSS1名。その前後左右の周囲にSS4名、後方に軽機関銃を持ったSS1名、合計7名態勢(27頁)。ホテルを出て大統領車まで2メートルの距離で、犯人のヒンクリーが射撃を始める(2発連射。その後更に4発)。警護課長は「最初の射撃音の時、私は既に動いていた。『覆いかぶさり、そして脱出』。私はレーガン大統領のベルトの後ろとズボンをつかみ、右手で彼の頭を押し下げ、彼を車の中へ投げた」。そして「『ここから脱出だ! 行け、行け、行け!』。第一弾の発射から3秒後、大統領車は走り出した」(226頁)。大統領車は当初ホワイトハウスに向かうものの、警護課長が大統領の負傷に気が付いてジョージ・ワシントン大学病院に行き先を変更指示。ホテル前を緊急発進してから3分以内に病院に到着(231頁)。緊急救命室で輸血等の緊急措置をした後の14時57分、撃たれてから30分後には手術室に向かった(235頁)。ホワイトハウスに向かうなどして措置が遅れていれば、助からなかったとされる。
ジェリー・パー氏が身辺警護責任者として受けてきた訓練は次のようなものであったそうです。「私は襲撃されている大統領を上から覆って脱出させる方法を学んだ(襲撃者を探すな。撃ち返すな。自分の体で警護対象者を覆い、そして彼あるいは彼女をそこから連れ出せ。周辺にいる警護官や警察が暗殺者を処理する)。教官は『かぶされ、かぶされ!』と、それが無意識のうちにできるようになるまで叫んだ」(95頁)。或いは。脅威の状況によって「大統領を下に押し倒すのか、ステージ上で自分の体を大統領の上に覆いかぶせるのか、あるいは、演壇から大統領を退出させるのかが変わる」(27頁)。「私は大統領と<死>との間の阻止線の一部であった」(19頁)。
他に興味深い記述としては、犯人のヒンクリーは、前大統領のカーター大統領暗殺も狙って1週間ほど後を追ったが、SSに「目の端で見られて、俺は身動きができなくなった。」と供述したそうであり、パー氏はSSがいて警戒していることによって暗殺行為が阻止されたと確信したという(247頁)。
本書には、この他にも、サイトエージェントの役割と活動、民主主義国家における警護官の魂・精神や警護技法について有益な記載が多々あります。警護に関心のある方には御一読をお勧めしたい本です。