現在、ロシア・ウクライナ戦争の影響で、「情報作戦」に対する関心が高まっています。インテリジェンスにおける「情報作戦」とは、一定の情報を流布させることによって、自分に都合の良い「物語」(narrative)を関係国に拡散させ、これによって現実社会を動かそうとする作戦です。「情報作戦」は最近始まったものではなく、特に共産主義者のお家芸で過去100年間「プロパガンダ」(宣伝扇動)として力を入れてきました。
ところで、「従軍慰安婦」問題は日韓関係を悪化させてきた大きな事案ですが、その背景には、実は北朝鮮による日韓離間を目的とした「情報作戦」があったことがほぼ明らかになりました。早稲田大学の有馬哲夫教授とハーバード大学教授のマーク・ラムザイヤー教授の共同論文Tetsuo Arima & J. Mark Ramseyer, “Comfort Women: The North Korean Connection,” SSRN Electronic Journal, 17 August 2022を参考に説明します。なお「従軍慰安婦」の実態については、第二次世界大戦中の連合軍側記録に基づいた資料 Lt. Col. Archie Miyamoto, Wartime Military Records on Comfort Women, (April 2017) が参考になります。
1 「従軍慰安婦」問題の経緯
軍隊と性の問題は大きな課題です。ソ連軍やロシア軍は特別な対策を採っていないために、占領地での強姦が跡を絶ちません。現在のウクライナ戦争におけるロシア兵の行状を見れば明らかです。米軍も特別な対策を採っていませんが、裕福なためか現地における自由買春・自由恋愛(一部、強姦)で対処していました。これに対して、日本軍は衛生管理(性病予防)のため、国内の売春事業者に対して占領地における日本軍兵士対象の慰安所経営を勧奨し、経営を軍が監督しました。つまり、国内の公娼制度の戦地版です。当時の価値観に従えば、「従軍慰安婦」制度には何も問題はありません。従って、韓国独立後も1965年の日韓国交樹立交渉の際も、問題とはされていません。
「従軍慰安婦」問題の発端は1982年です。吉田清治という詐話師が「慰安婦狩り」をしたと嘘の講演や回顧録を出版し、これに朝日新聞が飛びついて、キャンペーンを張ったのです。1989年に吉田清治の回顧録が韓国で翻訳出版されると、韓国のマスメディアもこれに飛びつきます。報道の増加と並行して、政治力を持つようになった韓国の活動団体が「韓国挺身隊問題対策協議会」(以下「挺対協」)です。「挺対協」は1990年に発足しましたが、「従軍慰安婦」を「性奴隷」であるとして糾弾してきました。元慰安婦数十人を集めて「老人ホーム」に収容して管理し、その発言内容を統制し虚偽情報を普及させたのです。
このような状況下、日本政府は謝罪と反省の表明を繰り返します。それでも、問題「解決」で、日韓両国政府が合意したことは今まで2回あります。1回目は1995年です。村山首相が「心からの深い反省とお詫びの気持」を談話で表明すると共に、民間法人「アジア女性基金」を設立して元慰安婦に対する支援事業を行うことになりました。しかし、韓国の元慰安婦で支援を受ける者は少なく、問題は解決しませんでした。2回目の日韓合意は2015年のことです。両国外相が共同記者会見で「最終的且つ不可逆的な解決」を確認した合意を発表しました。合意に基づき、安倍首相が「心からのお詫びと反省の気持ちを表明」し、韓国政府が設立した「和解・癒し財団」に日本国政府は10億円を拠出しました。しかし、文在寅政権は2019年に「和解・癒し財団」を一方的に解散して日韓合意を骨抜きにしてしまいました。
2 「挺対協」による問題解決の妨害活動
「従軍慰安婦」が解決できなかった大きな原因は「挺対協」です。「挺対協」は、建前は元慰安婦の救済を目的としていますが、実際は救済を妨害し問題解決を妨害してきました。
1回目1995年の和解に対しては、「挺対協」は、心からの謝罪ではない、「アジア女性基金」からの「償い金」は国家賠償ではないなど批判して、元慰安婦に「償い金」の受領拒否を指示して和解を妨害しました。「償い金」を受け取ると名前を公表したり、差別や嫌がらせをしたのです。2回目2015年の日韓合意も妨害をしました。合意発表後、「挺対協」は和解案について相談を受けていないので同意できないと主張して、反対活動を展開しました。実は「挺対協」は韓国外務省から4回にわたって和解案について協議を受けて来たことが後に判明しました。「挺対協」は最初から和解を妨害する積りだったのです。
3 「挺対協」の活動と北朝鮮の関係
それでは、なぜ「挺対協」が和解を妨害するのか。その背景には北朝鮮があります。
「挺対協」を創設した初代代表尹貞玉は、北朝鮮と関係の深い人物です。1991年の「アジアの平和と女性の役割シンポジウム」第1回(東京)に尹貞玉が参加し、北朝鮮の「祖国統一民主主義戦線」(朝鮮労働党統一戦線部傘下のフロント組織)議長の呂燕九と南北共闘で合意しています。また、1992年第3回シンポジウム(平壌)では、尹貞玉は金日成主席とも面会をしています。
次の「挺対協」代表の尹美香は、もっと北朝鮮との関係が深い人物です。夫と義妹は、1992年に北朝鮮のためのスパイ活動で逮捕され、1994年にはそれぞれ懲役4年間と2年間の有罪判決を受けた人物です。また義妹の夫も2007年にスパイ罪で逮捕され懲役の有罪判決を受けています。身近の3人もが北朝鮮のスパイと認定されているのです。更に、尹美香自身も夫と共に、2018年に韓国にいた脱北者4人に対して北朝鮮への帰国の説得活動をしたり、その面前で北朝鮮の有名な革命歌を大声で唄ったことが知られています。
更に、「従軍慰安婦」問題への北朝鮮自身の関与も見逃せません。1990年9月に自民党の金丸氏と社会党の田辺氏が訪朝し、朝鮮労働党との間で「日朝三党共同宣言」を発して、国交樹立交渉開始を表明しました。両国外務省間で日朝国交正常化予備交渉が始まるのですが、1991年1月の第6回交渉では、北朝鮮は慰安婦問題での「謝罪と補償」の要求を提起しました。次に北朝鮮は、1992年2月の南北首相会談で、韓国に慰安婦問題での日本追及の共闘を打診し、同年8月には「朝鮮日本軍性奴隷及び強制連行被害者補償対策委員会」を設置しました。そして、「挺対協」はこの委員会と友好関係を結び、慰安婦問題での共闘を約束し、実際2012年には共同声明を出したりしているのです。
4 北朝鮮による「情報作戦」の目的
「挺対協」が、北朝鮮からの指令を受けて活動しているという物的な証拠はありません。しかし、状況証拠から判断して、「挺対協」が北朝鮮の意向を受けて「従軍慰安婦」問題を重大化させ解決を妨害し、日韓離間を画策してきたことは明白です。「従軍慰安婦」問題は北朝鮮による「情報作戦」に使われてきたと言えるのです。
北朝鮮の「情報作戦」の目的は、この間の北朝鮮を巡る出来事を見れば推定できます。まず、1990年以降、日朝国交樹立が政治日程に上ってきており、当然、北朝鮮は日本に対して「補償」を要求します。できるだけ多くの金銭を欲していたでしょう。他方、この時期には、北朝鮮に不利な情勢も生じています。第1に、北朝鮮による日本人拉致の表面化です。1987年には大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫の日本人化教育担当・李恩恵が拉致日本人であることが判明しました。1988年には参議院予算委員会で国家公安委員長が日本国政府として初めて日本人拉致を認める発言をして、拉致問題が表面化します。そして1991年には埼玉県警が李恩恵は1978年に失踪した田口八重子であると特定し発表したのです。第2に、1991年にはソ連が崩壊して、北朝鮮は最大の支援者を失います。第3に、北朝鮮は核爆弾の開発を加速化しますが、1993年にはそれが表面化して日韓米の反発が強くなります。こうして北朝鮮に対する批判が強くなっていったのです。
こうした状況下、北朝鮮としては「従軍慰安婦」問題をフレームアップすることによって、一方で、日朝国交正常化で日本を道徳的に圧迫して有利な地位を確保する。他方、対北朝鮮批判が高まる国際情勢下、日韓関係を悪化させ、日韓離間を図る。これらの目的を持って「従軍慰安婦」問題の情報作戦を開始したと推定できます。インテリジェンスのオペレーションはここまで及んでいるのです。
(注)より詳しい論説は、『警察公論』第78巻6号68-74頁(立花書房)で、11月25日まで閲覧可能です。