~インテリジェンス不毛の背景~
日本は近代民主主義国家でしょうか。皆さん、「当然!」と考えているでしょう。しかし、そうでしょうか。
そもそも、近代民主主義国家とはどのようなものでしょうか。その典型例は、米国でしょう。米国は、アメリカ独立革命という近代最初の民主主義革命を経て、国家は人民(=国民)のものとなったのです。
ところで、国家が国民のものとなったからと言って、国民は権利ばかり享受する訳ではありません。当然に義務が伴います。それは、米国の(国籍取得時などの要求される)忠誠宣言に示されています。その内容は、米国(正確には、「米国憲法と諸法律」、即ち、米国の国の形・国体です。)に対して忠誠を保持し、内外の敵から米国を支持擁護し、法律の定めに従い、武器を取って戦い又は軍隊で非戦闘員としての任務を遂行し、或は文民の指揮下で国家の必要とする任務を果たすことです。即ち、忠誠義務、擁護義務、徴兵徴用の義務です。
これらの義務は、近代民主主義国家に普遍の義務です。即ち、国家は国民のものですから、国民は自分達の国家には忠誠でなければなりません。違法に政府転覆活動を行ったり、外国のためにスパイ行為を行ったり、テロ行為を行ってはいけないのです。国家を擁護しなければなりません。そして、現在のロシア・ウクライナ戦争の様に国家が外国から侵略を受けた時には、武器を持って戦い又は医療兵站その他の分野で戦争遂行に貢献しなければなりません。また、コロナ禍のような緊急事態では、米国で医療従事者が不足した当初メディカルスクールなどの学生数千人をコロナ対策で動員しましたが、徴用に応じる義務があります。『教育勅語』にある「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」とは、正にこのことを示しています。
ところが、現代日本ではどうでしょうか。本来国民は国家に対して忠誠義務を有するということ自体を知らない人が多いのではないでしょうか。日本に帰化した人々が驚くのは、国籍取得に当たって日本国に忠誠を誓う儀式がないことです。徴兵は憲法18条が禁止する「意に反する苦役」であるという憲法解釈もあります。事態対処法にも戦争遂行のための徴用という思想はありません。忠誠義務が曖昧で、徴兵徴用の義務を否定しているような国が、近代民主主義国家と言えるでしょうか。国民が自らの努力で自ら国家の独立を守り、国家を維持運営しようという意思・決意が欠如しているのです。
では、現代日本は何なのか。米国の「従属国」です。
「従属国」に安住したい人々にとっては、インテリジェンスは不要なのです。独立国家を自ら担うという独立不羈の精神があって初めてインテリジェンスの重要性が理解できるのです。