ゼレンスキー大統領に見る危機対処(加筆)

 (ロシア全面侵攻開始直後のゼレンスキー大統領による危機対処が再度注目をされていますので、加筆して再掲します。下線部は今回の加筆部分です。)

 ロシア・ウクライナ戦争におけるウクライナのゼレンスキー大統領の行動に危機対処の本質を見ることが出来ます。

 それでは、彼の行動の何が危機対処の本質なのでしょうか。ゼレンスキー大統領は元々喜劇俳優であり、大統領としての資質には疑問符が付けられていました。特に戦争など危機における指導者としては余り期待されていなかったと思います。ところが、ロシア軍の全面侵攻、そして今にも首都キーウ陥落かという瀬戸際で大統領としての本領を発揮したのです。全面侵攻直後に、米国が首都脱出・亡命政権の樹立を提案したのに対して、ゼレンスキーはこれを拒否して「脱出手段ではなく、武器をくれ」と応じたと報じられています。また、EU首脳とのテレビ会談でも、これが生きて会える最後かもしれないと述べながら支援を要請したと伝えられています。更に、自分の大統領府顧問さえ首都脱出を勧めたのです。しかし、ゼレンスキーは、自分個人の命の心配よりももっと大切なやるべきことがあるだろうと、脱出を拒否したのです。そして、彼は首都に留まり祖国防衛のため国民を鼓舞する映像をフェイスブックなどSNSで送り続けました。即ち、彼は自分の死を覚悟して、自分の死をもカードとして使って、対ロシア自衛戦争を鼓舞し指導しているのです。私利私欲を(命さえも)捨てて行うべきことを行うという危機対処の要諦を実践したのです。

 この対処法は、武士道そのものです。即ち、山本常朝『葉隠』には次の有名な一節があります。「武士道とは死ぬことと見つけたり。二つ二つの場にて、早く死方(しぬかた)に片付くばかり也。別に子細なし。胸すわって進む也。」即ち、生きるか死ぬかの岐路において、死ぬ覚悟を固める(自分にとっての最悪を覚悟する)ことです。その上で、その最悪の事態も選択肢としながら、肚を据えて自分が進むべき道を邁進するということです。ゼレンスキーは『葉隠』を実践しているのです。

 或いは、新渡戸稲造『武士道』は義勇について林子平の次の言葉を引用しています。「義は勇の相手にして裁断の心なり。道理に任せて決定して猶予せざる心をいふなり。死すべき場にて死し、討つべき場にて討つことなり。」つまり、必要であれば、自分の命や他人の命よりも道理を優先することが義勇であると述べています。

 ゼレンスキーは『葉隠』や『武士道』が示す危機対処の要諦を見事に実践したのです。それではゼレンスキーにはなぜそれが出来たのでしょうか。その基礎は、彼の死生観、歴史観、国家観、世界観などの広義の価値観でしょう。更に私は、彼の俳優経験が役立っているのではないかと考えています。理想の大統領であればどう行動するだろうかと考えながら、彼は理想の大統領を演じているのだと思います。危機の指導者は、期待される役柄を演ずることが重要なのです。

 なお、対ロシア自衛戦争の帰趨、そしてゼレンスキー大統領の徹底抗戦の決断が吉と出るか凶と出るか、それは現時点ではまだ分かりません。しかし、この決断はゼレンスキー大統領の死生観、歴史観、国家観、世界観などの価値観に根差した決断であり、(我が国を除く)世界の多くの人々が共有する価値観です。ウクライナ国家が存続し続けるならば、ゼレンスキー大統領は実質的なウクライナ建国の父として末永く記憶されるでしょう。島津藩隆盛の基を築いた島津日新公の歌に「楽も苦も時すぎぬれば跡もなし 世に残る名をただ思ふべし」がありますが、ゼレンスキー大統領はこの歌を知っているかのようです。

(2022年4月7日掲載、2023年3月1日加筆)

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