米海軍の中国系帰化軍人スパイの摘発

 今回は、中国出身の米国帰化軍人のスパイ検挙事例を紹介します。 2023年8月に司法省が公表した2件の事件ですが、2件とも中国出身の米海軍軍人が中国のためにスパイ活動をしていました。動機は、思想的なものというよりは金銭目的が強いようですが、こういう事件が続くと、中国出身の帰化軍人の米国に対する忠誠心には疑問符が付いてしまうでしょう。 なお、スパイへのリクルートの経緯は、ソーシャルメディアの使用が推定されます。 それでは、両事件について起訴状、司法省の広報や関連報道を基に見ていきましょう。 (2023年12月14日加筆)

1 強襲揚陸艦エセックス乗組員の逮捕

(1)海軍水兵ジンチャオ・ウェイの逮捕

 2023年8月2日に、海軍水兵ジンチャオ・ウェイ(当時22才)が、中国のためにスパイ活動をしていたとして逮捕されました。ウェイは、太平洋艦隊サンディエゴ海軍基地を母港とする強襲揚陸艦エセックスの乗員で、機械工助手として同艦の推進装置等の運用補修などを担当していたため、同艦のさまざまなシステム情報にアクセスが可能でした。ウェイは、中国出身ですが、米国への帰化を申請しており、スパイ活動を開始した後の2022年5月に帰化が認められ米国籍となりました。その際には中国諜報員から祝福を受けています。逮捕時には、極秘レベルの情報にアクセスできるセキュリティ・クリアランスを保持していました。

 なお、強襲揚陸艦エセックスは、排水量約4万トンと世界最大級の揚陸艦であり、米軍の上陸作戦の主軸を担う巨大艦です。2011年の東日本大震災では、米軍による救援活動の「トモダチ」作戦に参加しています。

(2)スパイ行為の概要

 ウェイは、2022年2月から逮捕されるまでの間に、中国諜報員(人定未公表)に対して、米海軍の国防情報を提供して、見返りに報酬を受け取っていました。提供した国防情報は、エセックス等の強襲揚陸艦やそれらの各種システムに関する情報であり、武器輸出管理法によって輸出制限対象品目であることが明示されたものも含まれていました。報酬額は、起訴状に記載されている金額の合計は8500ドルですが、この他に報酬(金額不明)を5回は貰っており、総額は軽く1万ドルを超えると推定できます。

 具体的スパイ活動の主なものは、先ず2022年3月、強襲揚陸艦エセックスの写真やビデオを撮影して中国諜報員に送信しています。次に同年6月には、強襲揚陸艦の動力、操舵、搭載航空機、昇降機、そして人的物的被害対策装置など多くのシステム運用に関する技術マニュアル約30件を送信しましたが、中国諜報員からは、その内の10件は未入手のものであったとして、報酬として5000ドルが送金されてきました。

 また同年8月には、強襲揚陸艦の動力構造や運用に関する技術マニュアル26件を送信し、1200ドルの報酬を得ています。これらのマニュアルのデータは、ウェイがアクセス制限のある海軍コンピュータ・システムから入手したものです。また、同年10月には、エセックスに関する技術マニュアル1件を送信しましたが、これは艦内の配置図、武器システム、被害対策等に関する国防情報を含んでいました。 更に2023年2月にも、エセックスの改修や他の強襲揚陸艦の機械的問題に関する情報を送信しています。

 ウェイの情報収集の手段は、携帯電話を使用した撮影と、アクセス制限のある海軍コンピュータ・システムからのデータ取得でした。 ウェイと中国諜報員との通信連絡は、中国諜報員の指示に従って種々の暗号化インターネット通信で行われていました。また、中国諜報員は、通信記録や関係するデータは削除するように指示をし、ウェイは承諾しています。

(3)適用罰条

 本件捜査は、FBIと海軍犯罪捜査局が共同して行いましたが、ウェイのスパイ活動に適用された罰条は、①合衆国法典18篇794条(国防情報外国通報罪)の共謀と実行、②合衆国法典22篇2778条(武器輸出管理法違反)の共謀と実行です。

 合衆国法典18篇794条(国防情報外国通報罪)は、いわゆるスパイ罪であり、これは、情報提供が米国に損害を与え又は外国の利益となることを知りながら、外国に国防情報を提供した場合の刑罰です。本条は最も重大なスパイ行為に適用されるものであり、罰則は、死刑、終身刑、又は有期刑と極めて重くなっています。事件担当の南カルフォルニア地区検察官事務所によれば、794条の適用例は数少なくて、過去6年間で全米の起訴件数は5件でした。なお、死刑の適用は、米国工作員の暴露死亡、核兵器など大規模攻撃に対する防禦報復手段、通信諜報、暗号諜報その他の重要情報を通報した場合に限られており、地区検察官事務所によれば、本事件での最高刑は、終身刑及び25万ドル以下の罰金です。

 合衆国法典22篇2778条(武器輸出管理法違反)は、武器やこれに関する情報の輸出を規制するもので、無許可で一定の武器や関連情報を輸出すると本条違反となります。本条の罰則は、20年以下の拘禁刑又は100万ドル以下の罰金です。

(4)リクルートの経緯とスパイ発覚の経緯

 本事件に関する公開情報には、ウェイがスパイにリクルートされた経緯や、スパイが発覚した経緯は含まれていません。そこで、その経緯を推定してみましょう。 起訴状によれば、ウェイはスパイ活動を開始した2022年2月には、防諜、脅威認識、報告訓練についての保全教育を受けており、そこでは、中国のインテリジェンスは、ソーシャルメディアやブログを使って接触を図ってくることが多く、接触を受けたら即座に報告するように教育を受けていました。この保全教育にあるように、中国インテリジェンスは、ソーシャルメディアを活用して中国系米国人からスパイをリクルートする幅広い活動をしていると推定できます。ウェイもそのようなソーシャルメディアを活用したリクルート活動でリクルートされた可能性が高いと見られます。

 ウェイのスパイ活動が当局によって探知検挙された経緯はどうでしょうか。これも推定ですが、起訴状には、ウェイは同年2月に、中国のスパイにならないかと勧誘を受けていると同僚に語っていたのです。米国では、政府の命令(保全責任者(=国家諜報長官)指令第3号)によって、秘密情報へのアクセスを許可された者は一定の事項について報告義務が課されており、外国インテリジェンス(容疑を含む)との接触は、速やかに報告する必要があります。従って、ウェイは報告義務を怠っていたのですが、同命令はまた、同僚による各種保全規則の不遵守にも報告義務を課しているのです。従って、ウェイからスパイの勧誘を受けていると知らされた同僚には、ウェイが自ら報告しない限り報告の義務が生じます。同僚は、ウェイの話を海軍の上司又は保全部署に報告したのでしょう。

 その結果、海軍犯罪捜査局に情報が伝達されたと推定できます。また、各省庁はスパイ活動の端緒を把握した場合は、即座に主務官庁であるFBIに通報する義務(合衆国法典第50篇3381条(e))がありますので、FBIにも通報され、FBIと海軍犯罪捜査局による合同調査が開始されたと見られます。ウェイは、中国諜報員の指示に従って、通信には暗号化インターネット通信を使い、且つ、証拠は直ぐに隠滅していた筈ですので、証拠の収集は容易ではありません。起訴状にあるウェイによるスパイ活動の事実把握は、秘密の通信傍受、ウェイの携帯電話のハッキング、秘密捜索など、国家安全保障に関する幅広い調査手法を使って行われたと推定されます。

2 海軍建設大隊所属の下士官の逮捕

(1)海軍二等兵曹ウェンヘン・ジャオの逮捕

 2023年8月3日に、海軍二等兵曹ウェンヘン・ジャオ(当時26才)が、中国のためにスパイ活動をしていたとして逮捕されました。ジャオは、中国出身の帰化米国人ですが、米海軍の工兵ともいうべき第1海軍建設群・第3海軍建設大隊に所属する電気工であり、カリフォルニア州中部のヴェンチュラ・カウンティ海軍基地で勤務をしていました。また、極秘レベルの情報にアクセスできるセキュリティ・クリアランスを保持していました。

(2)スパイ行為の概要

 ジャオは、2021年8月から少なくとも2023年5月の間に、中国諜報員(人定未公表)に対して機微な米軍事情報を提供する見返りに、14回以上に亘って10万元以上(1万4866ドル以上)の報酬を受け取っていました。提供情報には、「秘密指定外・管理情報(UCI)」(秘密指定はされていないものの外部への開示が禁止されている情報)や海軍の作戦保全に関する情報などが含まれていましたが、秘密指定情報は含まれていませんでした。我が国で言えば、取扱注意に相当する情報です。

 具体的な行為は、先ず、2021年8月中国諜報員から、同年の米海軍大演習の内インド太平洋地区の演習に関して、具体的な演習計画、海軍部隊の移動情報、上陸作戦や兵站に関する情報など各種の情報を要求され、ジャオは関連する「秘密指定外・管理情報(UCI)」である図表や画像スクリーンの写真を撮影して報告しました。 また同年11月ジャオは、、沖縄の米軍基地のレーダ・システムの電気システムについての図表や青写真を撮影して、中国諜報員に送信しました。 更に2022年10月にジャオは、米海軍の「秘密指定外・管理情報(UCI)」や海軍の作戦保全に関する情報など機微な情報を含むパワーポイント資料、ワード文書、PDFファイルなど16件を、中国諜報員に送信しました。 ジャオは、情報収集のために立入制限区域内に立ち入って、写真撮影をしたりビデオ撮影をしたりしています。

 ジャオと中国諜報員との通信連絡は、中国諜報員の指示に従って種々の暗号化インターネット通信で行われていました。また、中国諜報員は、通信記録や関係するデータは削除するように指示をしていました。

 中国諜報員は、ジャオに対しては、海洋経済調査員と自称して、海洋経済関連の投資判断のための情報収集であると説明していたようです。また、報酬は基本の月額報酬(3500元から4500元)があり、良い情報に対しては個別報酬が上乗せされ、また、年間のボーナスも予定されていました。但し、情報要求の中身は、明らかに軍事情報であり、ジャオが海洋経済調査員という自称を額面通り信じていたのかは疑わしいところです。

(3)適用罰条

 ジャオのスパイ活動に対する適用罰条は、①合衆国法典18篇371条(米国に対する犯罪)の共謀と実行、②合衆国法典18篇201条(b)(2)(収賄)です。①の犯罪とは、軍事情報を収集して中国諜報員に送信したこと、また情報収集のために立入制限区域に立ち入って撮影をしたことです。①の罰則は、5年以下の拘禁刑と罰金、②の罰則は、15年以下の拘禁刑と罰金で、合わせて最長20年の拘禁刑に処せられる可能性がありましたが、ジャオは、10月10日に有罪答弁をし、2024年1月拘禁刑27か月、罰金5500ドルの刑の宣告を受けました。

 本件捜査は、FBIと海軍犯罪捜査局が共同して行い、内国歳入庁犯罪捜査部の支援を受けています。内国歳入庁による支援とは、中国諜報員からのジャオへの送金部分の捕捉と推定されます。

(4)リクルートの経緯とスパイ発覚の経緯

 起訴状など現時点における開示情報には、ジャオがスパイにリクルートされた経緯や、スパイが発覚した経緯は含まれていません。 スパイにリクルートされた経緯は、ウェイの事件と同様に、海洋経済調査員を自称する中国諜報員からショーシャルメディアを使用した積極の可能性が高いと見られます。

 また、米国捜査当局によるスパイ探知の端緒ですが、逮捕前に作成された起訴状は、ジャオの情報収集活動を日時を特定して具体的に記載してあります。また、中国諜報員との連絡も日時を特定して記載してあります。中国諜報員はジャオに対しての通信や証拠の隠滅を指示していたことことから判断すると、FBIと海軍犯罪捜査局は、ジャオのインターネット通信の行政傍受や住居の秘密捜索をして情報収集をしていた可能性が高いと推定できます。

3 注目点

(1)FBIと海軍犯罪捜査局の協力関係

 今回のスパイ事件は2件共に、FBIと海軍犯罪捜査局が合同で調査・捜査を行っています。米国ではカウンター・インテリジェンスの主務官庁はFBIであり、合衆国法典50編3381条(e)項によって、他の各省庁はスパイ活動の端緒を把握した場合は即座にFBIに通報して、爾後の対応措置についてFBIと協議することを義務付けられています。官僚組織の縦割りによる弊害を除去して、対応措置について主務官庁であるFBIの経験や知識を活用すると共に、FBIにスパイ情報を集約して政府として統一的で効果的な対策を実施しようとするもので、極めて合理的です。

 なお、米国ではスパイ摘発のための情報収集には、①国家安全保障目的の調査活動と②刑事処罰のための司法捜査活動の二つがあります。①はスパイ活動などによって国家の安全保障が損なわれるのを防止するための行政調査であり、主としてFISA(対外諜報監視法)によって通信傍受、秘密捜索などの権限が定められています。その実施要件は司法捜査と比べて相当緩いものですが、その行政調査で収集した情報を、刑事訴追で使用することが認められています。更に、刑事訴追目的があっても、国家安全保障目的がある限り(即ち、完全に過去の事件ではなく、現在も当該スパイ活動による国家安全保障に対する危険が存在する限り)、①の調査権限を行使することが可能です。FBIの国家安全保障局は、①と②の両者の権限を行使して、スパイの摘発活動を行っているのです。

 我が国には、行政傍受制度が存在せず、且つ、司法傍受も実施要件が厳格過ぎで年間数えるほどしか実施されいません。米国とは、情報収集力に大きな格差があることが分かるでしょう。

(2)セキュリティ・クリアランスと背景調査の問題

 今回のスパイ事件は2件共に、犯人は極秘レベルのセキュリティ・クリアランスを保持していました。米国のセキュリティ・クリアランス制度は、我が国の特定秘密保護法に基づく適性評価制度と比較すると遥かに厳しいものです。極秘/秘レベルのクリアランスでも、本人が提出する質問票は136頁にも及び、記載内容は広汎且つ詳細です。そして、質問票に基づき、FBIの犯罪歴データベース、同じく国家安全保障に関する調査データベースへの照会、指紋照会が実施されます。また、地方警察機関への犯罪記録紹介、移民帰化局など関係連邦政府機関への照会が行われます。更に、各地の信用調査局に対してクレジットカードなどの信用状況の調査も行われます。これだけの背景調査をしていても、このようにスパイ候補者が擦り抜けてきてしまうのです。

 なお、通常インテリジェンス従事者が必要とする機密/SCI(機微区画情報)レベルのクリアランスでは、これらに加えて、訓練を受けた面接官による本人面接、更に過去に遡って、本人の居宅の隣人、職場の上司、学校の先生、離婚した配偶者、その他本人を知っている人の面接調査が行われます。またCIA、NSA、CRO、FBIなど、米国の主なインテリジェンス機関では、ポリグラフ検査が行われています。最初の事件のジンチャオ・ウェイなどは、セキュリティ・クリアランスの調査期間中にスパイ活動を開始しているのですから、ポリグラフ検査が行われていれば、探知できた可能性が高いと思われます。しかし、普通の軍人の極秘レベルのセキュリティ・クリアランスはポリグラフ検査の対象外なので、擦り抜けてしまったのでしょう。

 最後に、我が国の特定秘密保護法に基づく適性評価制度について述べると、制度上は米国の極秘/秘レベルの背景調査も行われません。各種機関照会も義務的ではないのです。このような状況下、我が国自衛隊にスパイ候補者が浸透しないように、関係者による適性評価制度の厳格な実施を祈るばかりです。

(註:第2の事件の犯人の名前の記述を、より米国での発音に近く変更しました。2024年1月12日記) 

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