安倍元総理暗殺から1年を前にして

 警察庁報告書に記載されていなかったこと

 安倍元総理が令和4年7月8日に暗殺されてから、1周年が近付いています。警察庁は、同年8月25日に事件の検証及び警護の見直しに関する報告書を公表しました。その後、報告書を基に、警護員の練度向上のための訓練強化、警察庁警備局による警衛警護専従課の新設や警護計画の事前審査など、警護の改善が進められており、多くの課題が改善されているようです。

 ところで、警察庁報告書には、警護に関して私が重要であると考える課題3点についての言及がありません。警察庁は敢えて記載していないだけと推定しますが、より良い警護を期待してその課題についてここで述べたいと思います。

1 身辺警護チームが一体として機能していなかったこと

 警護で重要なことは、身辺警護チームが相互に連携・意思疎通して一体として機能することです。これは昨年のトピックスでも指摘した通りです。身辺警護では、対象者を取り巻く状況は千変万化します。身辺警護員の位置取りや警戒方向も、状況に応じて柔軟に行う必要があります。警護計画があるからといって、状況変化に対応しない計画墨守では返って危険です。

 警察庁報告書は、安倍元総理の近辺にいた身辺警護員4人(県警ABC警視庁X)の行動を記述し評価していますが、その記述評価は4人の行動を個別バラバラに見ています。報告書を読めば、身辺警護チームが一体として機能していなかったのは明白ですが、なぜ一体として機能していなかったのか、その点をどう改善するのかについての記述はありません。

 報告書は、A警部補が、東側の人出が多いので、後方(南方)警戒担当であったC巡査部長に東側を警戒するように「直接指示」をしたため、後方警戒が弱体化した点を指摘しています。そのためか、Aは戒告と身辺警護員4人で一番重い処分を受けています。しかし、身辺警護は一体のチームとして機能すべきものですから、身辺警護中のチームの実質的最高位B警部はその警戒方向変更に責任を持たなければなりません。変更を否とするのか、是とするのか。是とするのであれば、後方警戒が薄くなるのですから、その代替策を取らなければなりません。例えばB警部とX(SP)の二人の身体で警護対象の後方空間を埋めて、身体を壁として守るのか、などです。このような指揮をしなかったという意味で、私は身辺警護チームの中でB警部の責任は重いと思いますが、処分は本部長訓戒でA警部補よりも軽くなっています。

 そもそも、AからCへの警戒方向変更の「直接指示」を、B警部は認識していたのでしょうか。本来、身辺警護員A、B、C、Xは警護無線を使って意思疎通をしていなければなりませんが、AからCへの「直接指示」は無線を通じていなかった可能性が高いと思います(この点について報告書は明確ではありません)。無線を使わなければ、情報を共有できず、チームとして機能できません。もし、無線を使わずに指示がなされていたとすれば、それ自体が問題ですが、この点についての記述はありません。そもそも、警護無線での通話は最小最少の発声で意思疎通する必要があり符牒の使い方を始め相当の訓練が必要です。また、警護無線用のマイクは目立たないように超小型軽量である必要があり装備の準備も必要です。

 なお、警護計画書では、本部警備課長も身辺警護員として位置付けられていますが、警戒場所が警護対象者から相当離れていたことなど報告書の記述を勘案すると、実際は、身辺警護チームの一員というよりも、警護全体の現場指揮者という位置付けではないかと思います。本部警備課長は、Cの行動を視認していたにも拘わらず後方警戒の空白域を埋めるの措置を取らなかったとして、現場にいた警護員としては一番重い減給の処分を受けています。確かに、本部警備課長が適切に対処していれば、本暗殺事件は阻止し得たでしょう。しかし、だからと言って、B警部以下4人の身辺警護チームに責任がない訳ではありません。身辺警護チームが一体として機能していれば、やはり、本暗殺事件は阻止し得たでしょう。

(身辺警護チームを一体として機能させることは、その場その場で編成した即席の警護チームでは至難の技です。そこで、諸外国では身辺警護チームは国家機関で一元化して相当の人員を確保しています。昨年の7月24日のトッピクス「我が国警護制度の課題と改善策(安倍元首相暗殺に関連して)」では、最低限、警視庁警護課のSPを400人程に増員することを提言しましたが、本年春の報道を見る限り、まだ、300人程度までしか増員されていないようです。)

2 detail leader役の不在

 以前のトピックスでレーガン大統領暗殺未遂事件(1981年)の際の大統領警護課長の回想録を紹介しました。彼によれば、大統領直近にいる身辺警護責任者detail leaderの任務は、襲撃者を探すな。撃ち返すな。自分の体で警護対象者を覆い、そして連れ出せ。周辺にいる警護官や警察が暗殺者を処理する」「私は大統領と<死>との間の阻止線の一部であった」です。

 我が国の身辺警護で、このdetail leaderの役割を果たすのは誰でしょうか。私はそれは警視庁SPであると認識していました。県警警護員のようにその場限りの関係ではなく、警護対象者と恒常的に接し信頼を受けている警護のプロだからです。街頭演説の様に不特定多数の人がいる場所では、何時何処から攻撃者が現れるか知れませんから、detail leaderは警護対象者に直ぐ手の届く位置取りをしなければなりません。そして万が一攻撃者が現れたら、対象者を台から引きずり下ろすなり、覆い被さる行動を採る必要があります。本事案では、警護対象者の最も近くにいた警護員はX(SP)ですが、それでも警護対象者から2メートル離れた場所にいました。応援演説対象の立候補者よりも離れています。だから、対象者を引きずり下ろし、覆い被さることができなかったのです。もしdetail leaderであるならば、なぜその位置取りをしたのか、報告書の記述は説得的ではありません。報告書は、真後ろでは前方が警戒できないと記述していますが、位置取りは斜め横でも良いのです。直ぐ近くにいることが重要なのです。警察庁報告書では、Xの行動に問題はなかったと評価しています。従って、警察庁報告書よれば、選挙の身辺警護で上記detail leaderの役割を果たす身辺警護員が必要とは認識されていないようです。

 SPの位置取りの問題については、元警視総監の池田克彦氏、高橋清孝氏、米村敏郎氏、そして、元警視庁SP某氏も指摘している所です。

3 緊急医療の準備の不在

 またレーガン大統領暗殺未遂事件の例になりますが、レーガン大統領は銃撃を受けた直後に大統領車で現場を緊急離脱しましたが、銃撃後約3分でジョージワシントン大学病院に到着し、応急措置の後、銃撃30分後には手術室に入りました。現場離脱後、大統領車は最初ホワイトハウスに向かったのですが、受傷に気付いた大統領警護課長の指示で、大学病院に向かったのです。そのままホワイトハウスに向かっていたら、命は助からなかっただろうと言われています。

 私が警護室長の際の経験ですが、米国大統領の訪日の際は、米国SSは在日米軍基地から救急車の派遣を受け、大統領車列には救急車が組み込まれ、日程行事中も至近に待機させていました。また、某大学病院と契約して医師やスタッフ、輸血用血液など緊急対応の準備をしており、当該大学病院にはシークレットサービスの担当隊員が待機していました。

 今回の事案で銃撃後の推移を報道から見ると、11時31分銃撃、37分救急車(奈良消22)到着、40分消防本部ドクターヘリ出動要請、43分救急車(奈良消86)車内収容、52分現場から西1キロ平城宮跡にドクターヘリ着陸、11時57分頃同所に救急車着、12時13分ヘリ離陸、12時20分過ぎ大学病院到着、という時系列です。死因は出血多量です。銃撃を受けてから病院に到着するまでに50分を要しています。奈良県では銃撃などによる受傷の可能性を考えた準備態勢は取られていません。もし、レーガン大統領のように素早く対応できていれば、救命の可能性があったかも知れません。警察庁報告書には、万が一の救命措置、緊急医療についての言及はありません。消防庁の所管事項であるとして遠慮して言及しなかったのでしょうか。

 ハイリスクの警護対象者が、屋外での選挙演説のように不特定多数が集まるハイリスクの行動を取る場合は、万が一の準備をしておく必要があります。予め救急車を付近に待機させる、万が一の場合に緊急搬送する病院を近場に確保して緊急医療の準備態勢を採ってもらうことです。この点については、警察庁において消防庁などと協議の上で一定の基準が示されているものと期待しています。

 以上の課題は、報告書には記載されていませんが、関係者は十分に認識し、これらの点も改善に取り組まれていると思います。

<本部長へのアドバイス> 本部長は、上記3点について、自分の県ではどうなっているのか、再確認することをお勧めします。身辺警護チームは警護無線を使いこなしているのか。チーム責任者は現実にチームを仕切っているのか、仕切る気概があるのか。誰がdetail leaderの役割を果たすのか。不特定多数がいる現場ではdetail leaderは警護対象者から離れてはならないこと、救急車や緊急医療の準備はできているのか、などを確認しておくことが必要です。

 なお、私の知る限り、米国の警護ではdetail leaderは、防弾板は持ちません。覆い被さったするのに邪魔になるからです。必要なら自分が防弾チョッキを着れば良いのです。

(参考)本事案関連の処分は、報道等を集約すると次の様です。〇県警本部:本部長=減給100分の10・3ヵ月(辞職)、警備部長=100分の10・1ヵ月(辞職)、警部部参事官と警備課長=減給、警備課次席=戒告 〇奈良西警察署:署長=本部長訓戒、署警備課長=本部長注意 〇身辺警護:B警部=本部長訓戒、A警部補=戒告

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