米国NSAの戦略的任務リスト

 インテリジェンス活動では、必ず、インテリジェンス機関に対して諜報任務が付与されます。米国では、先ず、諜報コミュニティの「国家諜報優先事項機構:National Intelligence Priorities Framework」という枠組みによって諜報コミュニティ全体の諜報の優先事項が決定されます。この優先事項は国別・事項別にマトリックスを作成し、そこに1~5の諜報優先度を付したものです。

 次に、NSAは、この国家諜報優先事項機構における検討を基礎として、機密文書「米国シギント・システム戦略的任務リスト:US Sigint System Strategic Mission List」を策定します。これは、米国シギント体制にとって戦略的に重要な諜報任務(標的)を列挙したものですが、シギントの作業グループが半年毎に策定更新する文書で、策定時点から12ヶ月乃至18ヶ月間の任務の優先順位を定めるものとされています。この戦略任務リストをみれば、米国のシギント機関がどのような情報に関心を持っているのか、また、シギント・システムでどのような情報を収集できるのか、推定できます。

 スノーデンによる情報漏洩によって、2007年1月現在の戦略的任務リストを見ることができます。といっても、2007年1月時点の古いものですから、現在の任務リストは相当変化していると考えらます。しかし、これが現在入手可能な最新のリストであり、且つ任務設定の基本思想は現在でも有効であると考えられます。そこで、その任務リストの要旨を紹介して、シギントの任務と収集能力を理解する材料としたいと考えます。 任務リストは、2部から構成され、第1部は分野別で、米国シギント・システムにとって最優先の分野16を規定し、第2部はその戦略的重要性から全体的且つ継続的に標的とすべき国6ヵ国を挙げています。

1 戦略任務リスト~分野別任務

 米国シギント・システムによって収集可能と考えれる情報分野であって、必ず収集する重要任務分野を、優先順に記載しています。

(1)テロ情報(テロに対する世界的戦争に勝利する): 重点分野は、米国、米国権益及び同盟国を攻撃する能力と意図を有するテロ集団、及び米国権益攻撃を計画し実行しているテロ集団(省庁間テロ対策諜報委員会が策定した脅威度リスト5段階の上位2段階のテロ集団)。  【:2001年の9・11米国同時多発テロ事件の後の2007年の任務リストですから、当然のことながらテロ対策が米国シギント・システムの第1の優先任務に挙げられています。また、嘗て元米国国家テロ対策センター長のマイケル・ライター2007~2011)が「NSAが傑出したプレーヤー或いは中心プレーヤーでないテロ調査というのは考えられない」と述べていますが、この発言はシギント・システムがテロ情報の収集において重要な役割を果たしていることを示しています。なお、現在ではテロ情報の優先度は当時より低くなっている可能性があります。】

(2)米国国土安全保障(テロその他の国境を越える脅威から米国国土を守る): 重点分野は、国境警備、テロ攻撃からの直接防禦、病気・伝染病・世界的伝染病、大統領等の幹部警護等

(3)大量破壊兵器と生物化学核放射性物質の計画と拡散(弾道・巡航ミサイルなど運搬手段を含む脅威と闘う): 重点分野は、①生物化学核放射性物質の開発、取得、使用; ②大量破壊兵器と弾道・巡航ミサイルに関する国家計画(対象国:中国、インド、イラン、北朝鮮、パキスタン、ロシア、シリア); ③大量破壊兵器とミサイルの拡散(対象国:中国、イスラエル、北朝鮮、パキスタン、ロシア); ④大量破壊兵器とミサイルの取得活動(対象国:中国、インド、イラン、パキスタン、サウジアラビア); ⑤大量破壊兵器の保管管理(対象国:パキスタン、ロシア)   【:2007年の時点ですが、イスラエルからの巡航サイル技術の拡散や、サウジアラビアによる核弾道ミサイルの取得が重点諜報事項とされており、注目されます。】

(4)米軍に対する脅威:軍事活動支援(海外展開中の米軍の安全を守り、作戦を支援する):重点分野は、①イラク、アフガニスタン、中東地域、韓国、フィリピンに展開中の米軍; ②韓国における作戦計画第5027号に対する支援; ③イラク、アフガニスタンにおける地元と外国の反有志国軍勢力の意図の把握ほか作戦支援; ④アフガニスタン、パキスタン、イラクにおけるテロリスト幹部、反政府軍指揮官、手製爆弾製造者他の高価値標的の特定による米軍支援。  【:2021年のアフガニスタンからの米軍撤退前ですので、アフガニスタン関係に重点が置かれています。また、敵対勢力の意図の把握や米軍の攻撃対象である高価値標的の特定など、米軍に対する作戦支援の重点が記述されているのが、興味深いところです。】

(5)国家の安定及び政治的安定(国家の安定性に対する切迫する危険を警告する): 重点分野は、①イラク、アフガニスタン、パキスタン、サウジアラビア~米国が体制継続に利益を有する国々での指導部存続の脅威となり得る国内政治活動; ②北朝鮮、スーダン、キューバ、コソボ、トルコ、ナイジェリア、レバノン、ベネズエラ、シリア、ボリビア、パレスチナ等において危機となり得る国内政治活動   【:体制継続に危機となり得る国内活動の情報収集において、北朝鮮の優先順位が高いことが注目されます。】

(6)戦略的核ミサイルの脅威に関する警告情報(米国領土に対する戦略的核ミサイル攻撃について警告する): 重点分野は、①ロシア~指揮統制通信機構、移動式ICBM、戦略的海軍ミサイル、爆撃機、②中国~指揮統制通信機構、移動式ICBM、核ミサイル戦略原潜、③北朝鮮~指揮統制通信機構、ICBM(テポドン2型)。  【:シギントで警告情報を提供すべきとされるロシア、中国、北朝鮮3ヵ国の核戦力が具体的に指定されています。ロシアと中国のサイロ固定型ICBMの脅威警告については、シギントは主たる諜報源ではないとして、重点分野から除外されているのが、興味深いところです。】

(7)地域紛争・危機と戦争発火点(紛争や危機に拡大し得る地域的緊張を監視する): 米国の戦略的利益に相当の脅威となり得る地域的発火点は、アラブ・イラン対イスラエル紛争、朝鮮半島、中国対台湾、インド対パキスタン、ベネゼエラ、ロシアとグルジア。  【:現在、尖閣列島問題や東シナ海の南沙諸島問題などがどう扱われているか、興味深いところです。】

(8)情報作戦(サイバー空間を支配し、米国の重要情報システムへの攻撃を防止する): 重点分野は、①コンピュータ・ネットワーク防禦支援(米国と同盟国のコンピュータ・ネットワーク担当者に対して、サイバー脅威の警告、探知、性格特定、損害軽減などで支援する。); ②コンピュータ・ネットワーク攻撃支援(米国による攻撃を支援するため、インテリジェンスとアクセスと攻撃防禦能力を提供する。);③外国諜報諸機関によるサイバー脅威活動(外国諸機関の米国に対するコンピュータ作戦についての能力、弱点、計画や意図についてのインテリジェンスを提供する。外国諸機関が米国の能力、弱点、計画や意図をどれだけ把握しているか解明する。対象は、中国、ロシア、イラン、アルカイダ。); ④電子戦支援(対象として、中国、ロシア、イラン、北朝鮮に加えて、イラクとアフガニスタンでの手製爆弾を列挙。); ⑤影響力作戦(Influence Operations)支援(軍による欺瞞作戦や心理作戦等を支援する。対象として、テロ組織、中国、北朝鮮、イラン、ベネズエラを列挙。)     【:第1に、現在は、サイバー攻撃やサイバー防衛の重要度が増しており、情報作戦の分野は、この文書が作成された2007年時点より更に優先順位上位に位置付けられていると推定されます。第2に、外国諜報諸機関によるサイバー脅威活動について、この時点では北朝鮮が名指しされていないのは、米国による脅威認識が低かったためとみられます。現時点では北朝鮮は当然名指しされていると思われます。第3に、影響力作戦は、この時点ではNSA自体の任務ではなく、軍に対する支援任務とされています。他方、英国GCHQでは2010年頃には既に影響力作戦はオンライン秘匿活動の一環として相当重要な任務とされていました。現時点で、米国におけるオンラインによる影響力作戦の主体が、米国CIAかNSAか何れかの機関の任務とされていると思われます。】

(9)軍近代化(外国の軍の近代化計画における重要な展開を早期に把握する): 重点分野は、①中国、北朝鮮、ロシア、イラン、シリアの軍隊と兵器に関する近代化が惹き起こす脅威; ②進んだ従来型兵器を供給する国家・非国家主体の活動; ③中国、ロシアによる衛星システム及び衛星攻撃システムが惹き起こす脅威

(10)戦略的科学技術(技術面における不意打ちを防止する): 重点分野は、軍事面、経済面、政治面で戦略的優位をもたらしうる重要技術であって、具体的的には、高低エネルギー・レーザー、コンピュータ・情報技術の進展、指向性エネルギー兵器、ステルス・反ステルス技術、電子戦技術、宇宙観測・遠隔観測技術、電子光学、ナノテクノロジー、エネルギー物質など。技術的脅威をもたらしうる対象国として、ロシア、中国、インド、日本、ドイツ、フランス、韓国、イスラエル、シンガポール、スウェーデン。

(11)外交政策(米国の外交的優位を確保する): 対象国として、中国、ロシア、フランス、ドイツ、日本、イラン、イスラエル、サウジアラビア、北朝鮮、アフガニスタン、イラク、国連、ベネズエラ、シリア、トルコ、メキシコ、韓国、インド、パキスタンが列挙されている。   【:日本の優先順位の位置付けが、科学技術開発では独仏より上位ですが、外交政策では独仏の下位に置かれています。2007年当時の米国による日本の力量の評価が反映されています。現在の順位付けがどうなっているか、関心が持たれるところです。なお、国連も対象とされており、この任務に基づきNSAは国連の情報システムに浸透しているのです。】

(12)エネルギー安全保障(米国に対する安定的且つ信頼できるエネルギー供給を確保する): 対象国として、イラク、サウジアラビア、ベネズエラ、イラン、ロシア、ナイジェリア。

(13)米国に対する諜報、防諜、欺瞞・心理活動(対外諜報の脅威に対抗する): 対象国として、中国、ロシア、キューバ、イスラエル、イラン、パキスタン、北朝鮮、フランス、ベネズエラ、韓国を列挙。    【:米国の同盟国或いは実質的同盟国の中で、イスラエル、フランス、韓国が記載されているのが注目されます。これら3ヵ国は、積極的な対米諜報活動を行っていると、米国が評価しているのです。イスラエルや韓国にとって米国はその国家存続を左右しうる国ですから、その米国に対して諜報活動を活発に行うのは当然なのでしょう。他方、我が国にとっても米国はその国家存続をも左右しかねない重要国ですが、我が国には対米諜報活動を行う能力も意思も存在しないのが実情でしょう。】

(14)薬物と国際的犯罪の組織とネットワーク(麻薬密輸組織や国際犯罪シンジケート等による米国益に対する影響を軽減する。): 重点分野は、①アフガニスタン、メキシコ、コロンビアの薬物密輸組織とその活動; ②ロシアの国際犯罪シンジケート; ③国際犯罪シンジケートを利するコロンビア、メキシコを経由する犯罪収益の洗浄; ④イラン、北朝鮮による国家的マネー洗浄。【:米国インテリジェンスにとって、犯罪情報自体が重要標的となっていることが注目されます。喧伝はされていないものの、シギントを端緒とする国際薬物密輸事犯の検挙や国際犯罪シンジケートの摘発も相当数に上ると推定されます。】 

(15)経済的安定と影響力(米国の経済的優位と政策戦略を確保する。): 重点分野は、米国の戦略的に関心を有する諸国の経済的安定性、金融財政的脆弱性、経済的影響力。対象国として、中国、日本、イラク、ブラジルが列挙されている。  【:経済政策や経済データは、米国インテリジェンスにとって主要な諜報対象です。2007年当時は、経済面での諜報では、日本は米国にとって中国に次いで重要な国家と評価されていました。現在では如何でしょうか。】

(16)世界の信号状況の認識(基本的な知識を獲得し維持するために必要な中核的通信インフラ及び世界的ネットワークに関する情報): 軍事・非軍事の通信インフラについてその位置、特徴、使用状況、現状に関する知識を獲得する。例えば、指揮統制通信コンピュータ網の情報、諜報・監視・偵察及びターゲティングシステムの情報、本戦略任務リストの優先項目の任務を達成するために必要な関連通信構造の情報。任務の重点は、予期せざる将来の脅威に対するシギント収集を可能とし、現在任務リストに掲載されていない標的への対応を可能とするデータベースを構築することである。 【:シギント活動のための基本的データベースとして、 「世界の信号状況」を把握しておくことは重要です。スノーデン漏洩資料の中には、「宝地図」と称する世界インターネット地図の構築に関する資料もあります。なお、本項目については、世界的環境、信号、ネットワーク状況、標的について、それぞれの重点分野が記述されていますが、報道された漏洩資料ではその部分が削除されています。内容が余りにも機微なために、漏洩資料を入手したマスメディアが報道を差し控えたものと考えられます。】

 以上、分野別任務の概要を見て来ました。概要を見ての特徴は、先ず第1に、米国シギントが対象とする任務分野が広汎多岐にわたることです。米国シギントはこれだけの広汎な分野の情報を収集する能力を有しているのです。第2に、諜報対象国にしばしば日本が挙げられているように、同盟国であっても、諜報の対象とすることです。他方、米国の同盟国であるイスラエル、フランス、韓国も対米諜報を活発に行っています。同盟国を諜報対象にすることに反発を感じる人もあるかも知れませんが、各国政府の対外的公式発表が如何なるものであっても、諜報とは、本来、全方位に向けるものであって、同盟国は対象としなというようなものではないのです。第3に、諜報対象国としての日本の位置付けです。2007年時点では幾つかの任務分野で相当高い優先順位が与えられていたことが分かります。それは当時の日本の国力や重要性を反映したものです。他方、現在の日本の優先順位の低下が案じられます。

2 継続的標的国

 継続的標的国として次の6カ国が列挙され、それぞれについて更に詳細な諜報関心が規定されている。即ち、①中国、②北朝鮮、③イラク、④イラン、⑤ロシア、⑥ベネズエラです。  【註:中国が標的としての優先順位第1位であるのは理解し易いが、ベネズエラがわざわざ提示されていることが注目されます。2007年当時のベネズエラはチャベス大統領に率いられており、米国の裏庭たるラテンアメリカの反米政権が米国からどう評価されていたかが分かります。】

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