1 中国による経済スパイの論理
(1)中国の論理
中国は外国企業に対する経済スパイに力を入れており、外国の知的財産の窃盗はいわば国策となっていますが、その背景の論理はどのようなものでしょうか。この点については、2014年頃に行われた米中協議における次の議論が参考になります。 米国国防総省の次官補が、「スパイ行為自体はOKである。我々もスパイをするし、中国もスパイをする。皆なスパイをする。しかし、それは政治・軍事目的のためであり、国家安全保障のためである。中国の経済スパイ行為に我々は反対する」旨を述べたところ、出席していた人民解放軍の大佐がこう応えたそうです。即ち、「我々は、国家安全保障と経済スパイを米国のようには区別しない。我々の経済建設に資するものは、国家安全保障にも資するのである。」 つまり、中国の経済建設が進んで中国の経済力が強固となれば、それ自体が中国の国家安全保障にとって良いことである、という論理です。
(2)論理の帰結
「盗人にも三分の理あり」というように、中国の論理にもそれなりの理があるようにも見えますが、実はこの論理の背景には極めて危険な世界観があるのです。 つまり、中国の論理は、自国の経済建設に役立つのであれば、経済スパイ行為、即ち、他国からの企業秘密窃盗が許されるというもので、国際関係を自国さえ良ければ他国は犠牲にしてもよいという見方、謂わば、ゼロサム・ゲームの世界として見ているのです。これは、現代の自由貿易体制の理念を完全に否定しています。現代の自由貿易体制の理念は、なるべく国境の壁を取り払って、多くの国にまたがる大きな自由な市場を構築し、各国の私企業はそこで経済活動をすることによって、お互いがより豊かになろうというものです。ところが、中国は、口では平等互恵を唱え、世界貿易機関(WTO)にも加盟して、世界の自由貿易体制によって大きな利益を得て来たにもかかわらず、実際はその理念を信奉してはいないということなのです。我々は、中国人民解放軍大佐の発言の背後に、中国のこのようなゼロサム・ゲームの世界観、国際秩序観があることに注意する必要があります。
また、この中国の論理によれば、経済スパイ行為の対象としては、経済建設に役立つものであれば全て許されるということになり、全産業分野が経済スパイ行為の対象となり得るのです。現実には、中国と雖も、中国共産党と中国政府の資源は無尽蔵ではないので、中国の諜報機関が取り組むべき経済スパイの対象分野には優先順位を付けて限定せざるを得ません。しかし、中国の論理に従えば、中国の民間企業が自らのイニシアティブで、対外的な経済スパイ活動を行い、進んだ世界の科学技術・産業技術ノウハウを入手して発展し、中国経済の強化に役立つのであれば、それは中国の国家安全保障に資するのです。中国の論理は、全産業分野における公私の経済スパイを推奨しているようなものなのです。
(3)国家諜報機関が取り組む経済スパイの重点分野
次に、経済スパイの分野で、国家安全部など共産党と政府の諜報機関が取り組む優先分野はなんでしょうか。それは、党と政府が示した優先分野ですから、最も権威ある文書は、2015年に党と政府が決定した「中国製造2025」という国家戦略計画です。その中では10の重点産業分野が示されいますが、これらの重点分野は、当然、国家安全部など中国の諜報機関による経済スパイの重点分野となるのです。それ故、国家安全保障関係の元米国政府職員は、これを「経済スパイの道路地図」と形容しています。
重点分野とは、次の10分野です。〇情報技術イノベーション産業(AI、次世代通信規格など)、〇高度デジタル制御工作機械・ロボット工学、〇省エネ自動車・新エネルギー自動車、〇航空宇宙機器、〇海洋エンジニアリング・ハイテク船舶、〇先端的鉄道輸送機器、〇原子力発電・再生可能エネルギー発電設備、〇ナノ先端材料・モジュール建築、〇生物化学医薬と高性能医療機器、〇農業用機械の情報統合システム。そして、航空宇宙機器分野のリーダー企業として、戦闘機など航空機の生産を担う国営企業である「中国航空工業集団(AVIC)」が挙げられています。
以前紹介した国家安全部の江蘇省国家安全局による経済スパイの対象分野は、重点10分野の1つの「航空宇宙機器」の分野です。そして、その経済スパイ活動では、江蘇省国家安全局が国防7大学の1つ「南京航空航天大学」、国営企業「中国航空工業集団(AVIC)」、AVICの商用飛行機製造部門が分社化した「中国商用飛機有限責任公司(COMAC)」などと連携し或いは連絡を取りながら実行していますが、不思議ではありません。重点分野の情報収集は、中国インテリジェンス機関、大学、国営企業などが連携して行う国家的事業、国策なのです。
2 中国による企業の知的財産やノウハウの収集手法
「中国製造2025」などで示された中国の経済発展のために必要な技術情報、知的財産やノウハウの海外からの収集方法は、当然のことながら、経済スパイだけではなく、合法から強制更には違法に亘る多様な方法が採られています。これについては、米国連邦議会の米中経済・安全保障調査委員会の2019年5月に出された報告書があり、6つの手法が記載されています。
(1)外国直接投資~企業買収: 半導体、AI、バイオテクノロジーなどの米国の先進技術企業(スタートアップ企業を含む)を買収して、その技術情報、知的財産、ノウハウを入手する。
(2)ベンチャーキャピタル投資: AI、自動運転、バーチャルリアリティー、ロボット工学、ブロックチェーン技術などのベンチャー企業に対してベンチャー投資基金を通じて投資して、技術情報等を入手する。
(3)合弁事業~中国への企業進出: 中国政府は、市場参入の条件として現地企業との合弁事業を課しててきており、合弁事業では外国企業に対して技術情報、知的財産、ノウハウなど企業秘密の共有を強制している。
(4)許認可条件~中国への企業進出: 中国での事業展開においては、様々な許認可を得る必要があるが、その過程で詳細な製品や製造に関する機微な情報を要求される。これらの情報が現地の競合企業に提供されている可能性が高い。
(5)サイバー攻撃 (註:以前にも取り上げたAPT10やAPT26による経済スパイ行為です。)
(6)人材獲得 海外の中国系や外国人の専門家を招請して、中国で研究させたり学術交流を行ったりして、ハイテク分野の情報を獲得している。また、ハイテク分野の情報や企業秘密を知る中国系専門家に対して、中国に帰郷しての起業を奨励して、実質的に米国の企業秘密を中国に移植している。 また、米国内の研究センターや研究所との学術協定や交流を通じての情報入手、中国の軍事科学者やエンジニアを学生や客員研究員としての大量派遣も行っている。
以上が、米国議会の報告書に記載された手法ですが、(6)と一部重複しますが、第7番目の手法として、ヒューミントと情報窃盗による情報収集手法があります。つまり、大学や研究機関との学術交流を名目に、中国系或いは外国人の専門家に旅費と謝礼を払って招請し、これを足掛かりに飲食接待や観光、或いは中国国内にいる家族・親族関係を利用して、人間関係を作って協力者としていく手法があります。また、そこまでには至らなくても、講演やプレゼンを受ける学生や研究者の中に当該分野に精通した者を加えて、質問攻めにして、結果的にグレーゾーンの情報を聞き出す手法もあります。熱心で詳しい聴衆の機微な質問に対して、(それは秘密に亘るからと言って)全て回答を拒否し続けることは結構難しいことなのです。更に、外国人専門家の滞在するホテルの部屋に忍び込んでノートパソコンなどのデータをコピーするという情報窃盗の手法もあります。
国家安全部など中国のインテリジェンスは、主として第5番目、第6番目、第7番目の手法を使って経済スパイ活動を行っていると見られます。
3 中国によるスパイ行為の規模
中国の経済スパイは大々的に行われているのですが、その正確な規模は分かりません。 1つの参考指標として、米国の戦略国際問題研究所(CSIS)の資料に拠ると、2000年以来の2023年3月までの間に、米国を標的にしたスパイ活動は224件です。これは公刊資料を基にしたもので、且つ、米国以外を標的としたものは含まない、中国に所在する米国企業や米国人を標的としたものは含まない、輸出禁制品を中国に持ち出そうとした事例を含まない、米国企業が知的財産窃盗で中国組織を訴えた1200件以上の民事訴訟も含まない、という極めて限定的な指標です。224件の内訳を見ると、目的別では、民間技術の獲得が54%、軍事技術の獲得が29%、政府機関や政治家の情報獲得が17%であり、過半が経済スパイであることが分かります。また、攻撃の主体は、中国の軍・政府が49%、中国の民間人が41%、中国人以外の者(通常は中国政府職員にリクルートされた協力者)が10%です。全体の46%が中国政府系列のサイバー攻撃です。
もう1つの参考指標として、Bloomberg誌からの孫引きですが、ニック・エフティミアデス氏の資料に拠ると、1990年代から2022年までの間に、スパイ、知的財産窃盗、軍事技術の違法輸出その他、中国絡みの経済事件で700人近くが起訴されているそうです。CSISの資料よりも件数が大幅に多いのは、輸出禁制品の持出し事件が含まれているからでしょう。
それにしても、中国による経済スパイの規模は大規模であり、また、これに対抗してFBIも一定の起訴或いは検挙を続けているのです。
さて、我が国も、このような中国による経済スパイ行為の標的とされていると考えるのが当然なのですが、その実態と起訴検挙状況はどうなっているのでしょうか。
(註:重点産業10分野の表現を補正しました。2024年12月4日)