4月14日の英紙フィナンシャル・タイムズによれば、欧州連合(EU)が国際会議などで渡米する職員に対して、匿名性の高い「バーナーフォン(使い捨て携帯電話)」や簡易ノートパソコンを支給しているそうです。トランプ政権下で米国との関係が悪化する中、米国シギント機関による通信傍受による情報収集を警戒した措置のようです。
外交交渉や国際会議など、一国の利害を賭けた交渉の場では、従来から、暗号解読を含む通信傍受が実施されてきました。それは、外交交渉や国際会議は、どんなものであれ、背後に参加各国の利害の対立があり、そのため、交渉は一定程度ポーカー・ゲーム的な色彩を帯びるわけです。ポーカーでは、仮に自分の手札を秘密にしたまま、他の参加者の手札を知ってゲームをすることができれば、圧倒的に有利になります。ですから、インテリジェンス機関は、重要な国際交渉に際しては、当然相手の手札、手の内を探る活動をしています。
それでは今回は、外交交渉や国際会議における米国の通信傍受で判明しているものを見ていきましょう。
1 ワシントン軍縮会議(1921~22年)における日本政府公電の解読
第1次世界大戦後、軍拡競争を抑制し西太平洋や東アジアの安全保障問題を協議するために、米国で主要国間の軍縮会議が開催されました。会議では、主要国の保有する戦闘艦の総トン数を、米:英:日:仏:伊の比率を5:5:3:1.67:1.67として制限をしたほか、大戦で敗れたドイツの権益の分配などが決定されました。この会議では、当時の米国の秘密の暗号解読機関『ブラックチェンバー』が日本の公電を全て解読しており、米国は日本代表団の手の内を全て把握していました。そのため、米国は、日本側が譲歩し得る最大限を探知しており、結局、日本は最大の譲歩案を飲まされることになりました。
勿論、当時の日本国政府は、自分達の外交暗号が解読されていることは知らなかったのですが、『ブラックチェンバー』の責任者であったハーバード・ヤードレーが金に困って、1931年に暴露本『アメリカン・ブラック・チェンバー』を出版したために判明したのです。この暴露本は日米でベストセラーになりましたが、特に日本における販売部数は3万3千部と米国の2倍近くと最多でした。
1946年に当時の米陸軍省のシギント機関・陸軍安全保障庁ASAがまとめた資料Japanese Codes and Ciphers 1919-1929(1995年機密解除)によれば、1920年代には日本の暗号は頻繁に変更されていましたが、20種以上の日本の外交暗号は『ブラックチェンバー』によって継続的に解読されていたそうです。
2 日米開戦直前の日本外交暗号の解読(1941年)
次に、日本の外交暗号が解読されていた有名な事例が、「B型暗号機」(電子機械式暗号機)です。これは1939年2月に運用を開始したものですが、1940年11月には解読されて、翌1941年1月には専用の暗号解読機が4台製作され、1台は英国に提供されました。
このため、開戦前の日本外務省の動きは全て米英両国に把握されており、12月7日に日本の駐米大使が実質的な宣戦布告文(11月26日の米「ハルノート」に対する日本政府回答)を米政府に手交する前に、米シギント機関はこれ傍受解読していたのは有名な話です。
ところで、重要なのは、日本の外交暗号が解読されていたのは、別にこの「B型暗号機」に限られないということです。1920年代の日本外交暗号の主体は『ブラックチェンバー』だったのですが、1930年代になると日本暗号解読の主体は当時の陸軍省のシギント機関・信号諜報サービスSISの担当となりますが、1930年代も断続的に日本の外交通信は傍受解読されていたのです。例えば、「B型暗号機」の前身「A型暗号機」(機械式暗号機)は、1935年に運用開始となりましたが、1937年2月には解読されています。更に日本外務省は、機械式暗号機の他に、複数のコード式の暗号書も使っていましたが、米国はニューヨークの日本領事館に侵入して暗号書を盗写するなどして、これらも概ね解読していました。
つまり、戦間期の日本外務省の公電は、米国のシギント機関によって、途中に中断はあっても、概ね継続的に傍受解読されていたのです。
3 1995年日米自動車交渉における通産大臣の通話傍受
1990年代半ば、自動車貿易を巡る日米摩擦が激化し、1994年から1995年にかけて、現地生産や市場アクセス、部品調達などの構造的な問題を主要議題として日米交渉が行われました。交渉の主役は、日本側は橋本龍太郎通産大臣、米国側はミッキー・カンター通商代表で、1995年6月にスイスのジュネーヴにおいて両者間で最終交渉が行われ、決着しました。同年10月の米紙の報道によれば、米国インテリジェンスは、橋本通産大臣と東京間の電話通話を傍受して、日本側の手の内、つまり、日本側の考える交渉の「落とし所」や譲歩可能な範囲を事前に把握して、カンター通商代表に報告したため、米国側は有利に交渉を展開したとされます。ジュネーヴでは、米国インテリジェンスの交渉支援チームが、カンター交渉団の宿泊するインターコンチネンタルホテルに詰めていました。なお、当時、既に日本外務省は秘匿の電話システムを導入していましたが、橋本大臣はそれを使用しませんでした。
日米自動車交渉については、1994年2月のワシントンでの日米首脳会談(細川首相とクリントン大統領)で米側から提起されました。首脳会談の直前、日本政府は秘密裡に紛争解決のため特使を派遣して、クリントン大統領と会談しましたが、会談後、同特使がホテルに戻って東京と交わした電話通話は、傍受されており、即座に翻訳されてホワイトハウスに報告されたそうです。
また、この他、1994年12月に第1回アメリカ・サミットが、南北アメリカ34ヵ国の首脳を集めてフロリダ州マイアミで開催されましたが、この会議でも米国シギント機関NSAが、各国首脳の通信を傍受するなどして、クリントン大統領をインテリジェス面で支援しました。
4 日米首脳会談に向けた安倍首相(当時)の準備状況(2007年)
2015年にウェブサイト『ウィキリークス』が、米国シギント機関NSAから流出した極秘情報を掲載しました。それは「世界シギント・ハイライト・幹部版」と呼ばれる情報プロダクトであり、日々、大統領や政府高官に配信される重要シギント情報です。仏独日などの政府首脳の動向が含まれる情報ですが、日本については、2007年から2009年の間の極秘情報5件が掲載されました。その中でも、2007年4月安倍総理訪米直前の準備状況が分かる情報があるので、次に紹介します。
(1)【情報】2007年4月18日付『日本―炭素排出量の2050年半減目標を提言』
「4月26、27両日、安倍首相の米国訪問の事前準備で、経済産業省は、気候変動について米国が同意できる単純なメッセージを準備したいと考え、次の三原則を提案した。即ち、技術開発、省エネと原子力、将来の枠組への全ての国々の参加。これに対し、外務省は、首相が米大統領との首脳会談で、翌5月発表予定『安倍イニシアチブ』の一部として、2050年までの炭素排出量の半減目標に言及して欲しいとの立場である。外務省は、当初、半減目標については、米国は賛成しそうにないので事前には通知しない積りであったが、安倍首相に対する官邸での事前説明において、事前に米国に通告の上、日米首脳会談で半減目標について言及することが決められたようである。」
(2)本情報の意義
この情報例で分かるように、米国首脳は、日本の首相の訪米準備状況に関する情報まで得ているのです。また当然のことですが、米大統領は、インテリジェンス機関から日本側の会談に臨む姿勢について包括的なインテリジェンス・ブリーフィングを受けた上で、安倍首相との会談に臨んでいると思われます。2013年スノーデンによる機密情報漏洩によってインテリジェンス機関が批判に晒されましたが、時のオバマ大統領は、「諜報機関というものは全て、・・・各国の首都で何が起きているかを理解しようとしている。それをしないようでは諜報機関としての価値はない」と述べて、インテリジェンス機関を擁護しました。この発言は、世界各国の首都で何が起きているか、日々、情報に接している経験があるからこそ言えるものなのです。正に、孫子の言う「敵を知り己を知れば百戦殆からず」で、国際関係ではインテリジェスによって圧倒的優位に立てるのです。
(3)本情報のインテリジェス・ソース
ところで、この情報源は何でしょうか。『ウィキリークス』が掲載した仏や独首脳の情報については、その情報内容から、独仏首脳の電話通話(暗号化通信)を傍受解読していたと推定できますが、安倍首相の訪米準備状況に関する情報は、電話通話の傍受ではないようです。私の推定ですが、安倍首相に対する事前説明の結果報告を、米国が取得した可能性が高いと考えます。我が国外務省の情報システムや外交通信が米国シギント機関NSAに侵入されている可能性が高いということです。スノーデン漏洩情報によれば、2012年6月現在、NSAはフランス外務省のVPN(世界中の在外公館と外務本省を結ぶ通信網)への侵入に成功していました。同様のことが日本外務省に対しても行われているのでしょう。
5 多国間国際会議におけるシギント活動(2009年国連気候サミット)
2009年12月7日から18日までデンマークで国連気候サミットが、米大統領や我が国首相を含む世界の政府首脳110人を集めて開催されました。このサミットは、地球温暖化防止のための温室効果ガス削減について、(拘束力を有する)京都議定書の有効期限が2012年迄であったため、それに続く拘束力ある国際的合意を目指す重要なものでした。しかし、先進国、特に米国と、中国やインドなど新興国との利害対立が激しく、結局拘束力ある合意には至らなかったものです。
国益に絡む重要な会議であったので、当然、NSAは情報収集に当たります。会議開始当日の2009年12月7日付NSA内部文書(スノーデン漏洩資料)は、中国がインドとその主張を調整している状況の詳細を記述した(政策決定者向け)報告書を11月下旬に作成し、また、別の報告書で(会議が行き詰った場合のために準備された)デンマーク案の詳細を事前に入手し報告していたとして、それまでの成果を誇示しています。また、今後も、会議に対する主要国の準備状況、目標、内部議論や交渉戦略について、ユニーク且つタイムリーで貴重な洞察を提供し続けると述べた上で、2週間の会議期間中、シギントは間違いなく情報提供で主要な役割を担うであろうと述べています。
報道によれば、デンマークの交渉担当官はこの会議を振り返って、個別の裏交渉の内容について、「米国と中国、特に米国は、奇妙にも常に良く知っていた」と述べています。他にも、多数の新興国グループを代表して交渉した某氏は、米国は開催前から新興国の主張を良く掌握していたし、会議期間中も必ず盗聴していると感じていたと述べています。
米国NSAは、重要国際会議に際しては、事前にも会議進行中も、通信傍受による情報収集で重要な役割を果たしていることを示しています。
多国間国際会議におけるNSAによる通信傍受は、これだけに限られません。スノーデン漏洩資料によれば、2007年5月にアメリカ・アラスカ州アンカレッジで開催された国際捕鯨委員会(IWC)第59回年次総会においても、NSAは通信傍受による情報支援を行っていました。捕鯨規制の問題は、米国にとって国益の主要課題ではないと思いますが、実際はそんな分野の国際会議までシギント機関が支援しているのです。
6 最後に
国際交渉や国際会議における米国シギント機関による通信傍受を見て来ました。暴露本や米国開示資料によって、第1次と第2次世界大戦の戦間期において、日本外務省の暗号通信は、時に中断はあっても、概ね継続的に傍受解読されていたことが分かります。戦後については、1995年の日米自動車交渉、2007年の安倍首相訪米、同年の国際捕鯨委員会における日本を標的とした通信傍受活動、2009年国連気候サミットにおける通信傍受を見て来ました。戦後の対日通信傍受の全体像については確たる暴露資料や開示資料はありませんが、2024年10月のトピックス「米国インテリジェンスの戦略的任務リスト」で見たように、NSAの戦略任務リストでは、日本の外交政策は標的として上位に位置付けられています。常識的に考えて、第二次世界大戦後も日本の国際交渉は継続的に通信傍受の標的であり、そして、継続的に通信傍受の成果が挙がってきたと見て、間違いないでしょう。
こう述べると、米国が同盟国である日本に対して通信傍受をするのか、スパイ活動をするのか、と驚く人がいるかもしれませんが、これがインテリジェス世界の実態であり、常識なのです。世界中の多くの国、少なくとも中国やロシアなど主要プレーヤーは皆、国益を賭けてシギント活動に取り組んでいるのです。他方、今国会では「サイバー対処能力強化法案及び同整備法案」が成立する見込みですが、その国会審議(衆議院内閣委員会)ではサイバーセキュリティに不可欠な基盤であるシギント活動に関する議論が全くされていません。世界の奇観と言えるでしょう。