中国は堂々と経済スパイに力を入れ、他方、米国は経済スパイを行っていないと主張します。2013年スノーデン情報漏洩当時の国家諜報長官クラッパー氏は、「米国企業の国際競争力を強化するために、外国企業の秘密を収集したり、米国企業に提供したりはしていない」と述べています。 それでは、米国インテリジェンスは、外国の民間部門の科学技術情報や産業経済情報の収集はしていないのでしょうか。実は収集しているのです。それを米国政府の機密漏洩資料から見てみましょう。
1 科学技術情報の収集
2013年のスノーデン漏洩資料には、2007年現在のNSAの極秘文書「戦略的任務リスト」(January 2007 Strategic Mission List)があります。これは、米国シギント機関にとって戦略的に重要な諜報任務を列挙したものですが、その優先収集目標16分野の内の1つに、「戦略的科学技術」があり、そこでは「軍事面、経済面、政治面で戦略的優位となりうる重要科学技術」、具体的には、高低エネルギー・レーザー、コンピュータ・情報技術の進展、指向性エネルギー兵器、ステルス・反ステルス技術、電子戦技術、宇宙観測・遠隔観測技術、電子光学、ナノテクノロジー、エネルギー物質が示されています。これらの技術には軍事技術もありますが民間技術もあり、それを経済面での戦略的優位を維持するためにも収集するとしているのです。
また、2009年の国家諜報長官室ODNIの極秘文書「四年毎の諜報コミュニティ・レビュー」(Quadrennial Intelligence Community Review Final Report)では、米国諜報コミュニティの将来の最重要課題6つの内の1つに、「あらゆる手段による科学技術情報の入手」が挙げられ、具体的には、要旨次の記載があります。即ち、「2025年には、外国多国籍企業の技術的能力が米国企業を上回るなどして、米国の科学技術や革新性に於ける優位が減少し、エネルギー、ナノテクノロジー、医療、情報技術等の死活的な分野で劣勢に立たされる可能性がある。そこで、科学技術に於ける優位を喪失しないため、公開情報と非公開情報の総合的な収集努力と防諜に取り組むべきである」としています。その上で、具体的な活動手法4つを提示していますが、その一つがサイバー作戦で、「外国の非公開・非公然の研究センターの情報を取得するため、外国研究者や外国企業が使用するシステムや、外国の研究開発イントラネットに対してコンピュータ・ネットワーク資源開拓(CNE、いわゆるハッキング)を実施する」としています。そして、外国の研究センターから入手した「調査結果」について米国産業界にとって有益か否か、どのような意味で有益かを判定すると記載しています。 このように、明らかに米国インテリジェンスも、外国政府のみならず、外国民間企業の秘密の科学技術情報を収集しているのです。
2 産業経済情報の収集
米国は、科学技術情報の他に、産業経済情報の収集にも力を入れています。これについては、2015年6月に「ウィキリークス」にNSA極秘資料の一例が掲載されており、参考になります。 本資料は2012年時点での収集対象任務分野「フランスの経済発展」についての「情報需要」(Information Needs)の詳細です。本資料は2002年に作成されその後更新されてきたものですが、その中には収集すべき「主要情報要素」(Essential Elements of Information)11項目が列挙されており、その中の1項目「外国契約、実現可能性調査、交渉」は次のように記載されています。即ち、「フランスの国際貿易・国際投資についての差し迫った契約提案、実現可能性調査や交渉に関するものであって、ホスト国にとって重要な利益に係わる主要プロジェクトやシステム、又は契約額が2億ドル以上のものは報告する。」そして、「重要な利益に係わる」ものとして次の諸項目が列挙されています。
○ 情報通信に関する施設、ネットワーク、技術
○ 原子力や再生エネルギーを含む電力、天然ガス、石油に関する施設とインフラ
○ 港湾、空港、高速鉄道、地下鉄を含む輸送に関するインフラと技術
○ 環境技術
○ バイオテクノロジーを含む健康ケアに関するインフラ、サービスと技術
ここで注目されるのは、その情報収集の対象とする貿易や投資の広汎さで、契約額2億ドル以上の貿易、投資案件は全て収集しようとしているのです。これはフランスに関する情報需要ですが、当然、日本を含む他の諸国に対しても同様な情報需要を設定しているものと推測できます。NSAの収集する産業経済情報は極めて広範囲に及んでいるのです。
また、2012年のNSA資料”Private Networks: Analysis, Contextualization and Setting the Vison”では収集対象の情報ネットワークの発見方法を議論しています。その中で、既知の専用ネットワーク一覧表があり、そこには通信、金融、石油や製造関連の世界主要企業が列挙されており、Rolls Royce Marine(英)、 Rio Tinto(英)、 RigNet(米)、 Royal Bank of Canada(加)、 Rogers Wireless(加)を含む15企業の名前が読み取れます。 つまり、米国シギント機関NSAも、民間企業の秘密の情報を収集しているのです。
3 経済スパイとどこが違うのか?
このように、明らかに、米国NSAは、科学技術情報や産業経済情報の収集をしていますが、これは経済スパイではないのでしょうか。 2013年のスノーデンによる情報漏洩騒ぎの際に、国家諜報長官クラッパー氏は「米国の諜報コミュニティが経済金融情報を収集しているのは、秘密ではない。しかし、米国の対外諜報能力を使って、米国企業のために外国企業の秘密情報を盗んだり、米国企業に秘密情報を提供したりはしていない。」と述べています。この言を信じるならば、米国インテリジェンスは、科学技術情報や産業経済情報を収集はしているが、それをそのまま米国の個別企業に提供してはいないということであり、それが即ち米国がしていない「経済スパイ」行為であるということです。
これは、米国インテリジェンスが収集した情報は、個別の米国企業には提供しないが、他方、国家安全保障のためには使用するということです。それでは、どのような使い方があるのでしょうか。 先ず、世界の先端科学技術の動向を把握して、米国政府の科学技術政策や経済産業政策に役立てることが考えられます。標的とした外国政府や民間企業の先端研究所における秘匿情報を含めて収集する訳ですから、世界の先端科学技術開発の現状を正確に把握して、政策を立案することができる訳です。例えば、国防高等研究計画局(DARPA)は40億ドルを超える年間予算を使って米国における先端的研究に資金を提供していますが、その際の参考資料とすることもできるでしょう。或いは、外国の個別企業の賄賂などの不公正な行為に関する違法情報を探知した場合には、これをFBIに通報して捜査させるなど、公然非公然の制裁を課すこともできるでしょう。これは、結果的に競合する米国企業を利する効果があるでしょう。このように、科学技術情報や産業経済情報は、米国の経済面での戦略的優位を維持確保するためには使用しているのです。これが米国は「経済スパイはしていない」という主張の背後の実態です。
結局、世界の国々は、中国も米国も、自国の国益の極大化を狙って、インテリジェンス活動を実行しているのです。