サイバー安全保障に関しては本年6月、内閣官房に「サイバー安全保障分野での対応能力の向上に向けた有識者会議」が設置され検討が進められており、その会議の状況は内閣官房のウェブサイトで公開されています。
そこで、公開されている議事録と資料を読んでみますと、有識者会議のテーマ別会合(6月19日)に提出された事務局資料5-2のスライド9「主要国における政府による通信情報の利用を許容する法律の例」には大きな問題があります。同スライドの米国の例を見ると、「『米国外所在の非米国人の通信』の傍受の根拠法令は『外国情報監視法』で、その情報は『裁判での証拠としての利用を原則禁止』している」と読めます。つまり、行政通信傍受の資料は裁判で使用できない。国外に所在する非米国人に対する行政傍受の根拠法令は対外諜報監視法である。と解釈できます。しかし、これは何れも誤りであり、こう解釈すると米国の行政通信傍受法制に対する重大な誤解となりますので。ここで説明しておきたいと思います。(なお、FISAを事務局資料では外国情報監視法と翻訳していますが、私は対外諜報監視法と翻訳しています。)
要点を記載します。
(1)先ず、米国政府による国内外に対するインテリジェンス活動の一般的な根拠法令は、大統領命令第12333号「米国インテリジェンス活動」です。国家安全保障のためのインテリジェス活動は、連邦憲法第2章が規定する大統領の行政権に含まれる本来的な権限(或は内在的権限)として実施されて来ました。行政通信傍受に関しても、議会の制定する法律を必要とせずに、司法長官の示す秘密指針に従って、行われて来ました。
しかし、ニクソン政権において連邦権限が濫用されたために、1978年にFISA(対外諜報監視法)が制定されて、国内通信に対する行政通信傍受に適用されることとなりました。つまり、FISAは、行政傍受権限を付与のための法律ではなく、「米国内」における行政傍受を規制する法律として制定された訳です。
(2)ODNI(国家諜報長官室)の公式文書には、米国インテリジェンスの主たる顧客として、政策決定者、軍、法執行機関の3者が上げられており、インテリジェンス情報の法執行目的での使用が前提とされています。
(3)国外所在の非米国人に対する行政通信傍受は、捜査目的があったとしても、大統領命令第12333号によって問題なく執行可能であり、国家安全保障法第105A条は、それを前提として、連邦法執行機関はインテリジェンス機関に国外所在の非米国人に対する情報収集を依頼でき、その情報は法執行捜査(law enforcement investigation 即ち司法捜査)にも使用できると規定しています。
(4)さて、「国内において」行政傍受して得た情報の使用範囲ですが、連邦憲法修正第4条の不合理な捜索差押の禁止の規定は、捜索差押を規制するものであって、捜索差押後の情報の取扱いについては規定していません。そこで、司法省は、一旦適法に収集され既に政府所有になった情報の使用は、政府の自由であるとの立場でした。この解釈に基づいて、FISA第1章による収集情報のみならず、FISA702条による収集情報についても、その検索利用は憲法修正第4条に違反しないとの立場です。
(5)その上で、FISA第1章に基づく行政通信傍受の資料を、国家安全保障に係わる刑事事件の裁判で証拠とすることには何ら制限がありません。事実、最近、数年間のFBIが調査・捜査したスパイ事件、テロ事件などの起訴資料を読むと、明らかに、国家安全保障目的の行政調査(通信傍受)で得た資料を起訴に使用していると見られる事案があります。つまり、FBIのスパイ、テロ等の国家安全保障関連事案においては、FISA第1章の行政調査から司法捜査に移行するのが基本であり、当然FISA第1章で収集した情報も、司法手続においても使用可能です。(但し、実際に使用するかどうか判断では、むしろ、インテリジェンス活動の秘匿の観点が大きいと考えられます。)
2002年の対外諜報監視控訴裁判所の決定は、FISAは対外インテリジェンス情報を刑事訴追で使用することを全く制限していないと述べ、また、国家安全保障目的がある限り、併せて捜査利用目的があったとしても、行政傍受は可能であると述べています。
(6)2015年のODNIの示した方針では、国家安全保障に係わる犯罪と一定の重要犯罪については、行政傍受使用の証拠提出を可能としています。また、FISA第702条に由来する資料について、証拠価値を認めた裁判例もあります(2016年12月第9巡回控訴裁判所)。
(7)但し、FISA702条については、「国外所在の非米国人の通信」を「米国内通信サービス事業者から」データを取得するという構造になっていて、「米国内」或いは「米国人の」通信を傍受するという建付けにはなっていないために、米国インテリジェンスは、対外諜報監視裁判所の個別の命令なしに、大量にデータを取得しています。しかし現実は、その収集データには米国内の米国人が当事者となっている通信も多量に含まれており、これに対して、FBIが(国家安全保障に係わらない)一般犯罪捜査目的でも大量検索をしていたことが発覚しました。これは、連邦憲法修正第4条の脱法行為ではないのかと批判が高まり、FBIによるこの検索については徐々に規制が強化され、2024年春成立したFISAの有効期間延長法では更に規制が強化されています。
(8)以上をまとめると
〇 一般に行政通信傍受で得た資料は裁判で使用できる。しかし、国家安全保障と関わらず、重要犯罪でもない、一般犯罪については、裁判では証拠として使用しない。これは、諜報活動の秘匿の視点からの行政府としての方針と考えられます。
〇 国外に所在する非米国人に対する行政傍受の一般的な根拠法令は大統領命令第12333号ですが、国外に所在する非米国人に対する行政傍受を、米国内で電子通信サービス事業者の協力を得て行う場合の根拠法は対外諜報監視法702条となります。
(9)参考文献
〇 「米国における行政傍受の法体系と解釈運用」(警察政策学会資料第94号、2017年)、特に34-40頁。
〇 2024年2月26日トピックス「米国における行政通信傍受の法的構造」
〇 『警察公論』R6年9月号「インテリジェンスこぼれ話(第20回)対外諜報監視法第702条の有効期間延長と一部改正」。本サイト2024年5月5日トピックス「対外諜報監視法第702条の有効期間延長」よりは詳しく記載しています。