~米高官の政策論議、作戦情報、インテリジェンス情報の漏洩~
2025年3月、米国トランプ政権の高官が暗号化通信アプリのシグナルのグループ・チャットで取り交わした通信内容が漏洩され、アトランティック誌に掲載されました。通信内容は、イエメンの多くを実効支配するフーシ派に対する3月15日からの攻撃を巡るものですが、多くはSecret以上に該当する情報であり、トランプ政権の性格や米国のインテリジェンス力を示す貴重な資料です。そこで、各種報道を分析して、漏洩情報中の①政府高官間の政策論議、②攻撃作戦予定情報、③インテリジェンス情報について、内容と意味を解説します。なお、このシグナルのグループ・チャットは、「フーシPC(フーシ派対策閣僚級高官委員会)小グループ」と言い、ウォルツ大統領補佐官(安全保障担当)が開設して閣僚ら政府高官18人が参加していました。
1 政策論議
(1)漏洩情報
「フーシPC小グループ」は3月13日夕刻に開設されましたが、翌3月14日08時16分にヴァンス副大統領が、フーシ派攻撃を1ヵ月程延期すべきではないかと議論を提起しました。そこで、それから同9時35分にかけて、延期の是非についての論議が行われました。この論議は、大統領、副大統領、閣僚というトランプ政権幹部の思考法や「アメリカ・ファースト」感情を強く示しているので、以下、要旨を紹介します。
🔳ヴァンス副大統領:スエズ運河を通過する通商は、欧州が40%であるのに対して、米国は3%に過ぎない。国民は、この攻撃の必要を理解できない虞がある。攻撃を1ヵ月ほど遅らせて、本攻撃の必要性などについて(国民に)メッセージの発信をする必要があるのではないか。
🔳ラトクリフCIA長官:CIAは現在、作戦支援のために諜報アセットを動員しているところであるが、延期自体は攻撃作戦に対する悪影響はない。フーシ派指導部に対するインテリジェンス収集のより良い拠点を特定する追加的時間を得ることができる。
🔳ヘグセス国防長官:ヴァンス副大統領の危惧も理解できるが、重要なのはタフなメッセージを出すことであり、その要点は①バイデン政権は失敗した、②イランがフーシ派を支援してきたということである。
攻撃を数週間或いは1ヵ月待っても、基本的な要素は変わらない。他方、延期するリスクは、①この情報が洩れて政権が優柔不断だと見られること、②米国より先にイスラエルがフーシ派を攻撃することである。
従って、予定通り攻撃するべきである。重要なのは、第1に航行の自由を回復すること(これは重要な国益である)、第2にバイデン政権が穴を開けた抑止力を回復することである。
🔳ウォルツ補佐官:何れにしろ、欧州諸国の海軍は、フーシ派が使う洗練された対艦巡航ミサイルやドローンに対して防禦能力を持っていない。今だろうが、数週間後であろうが、紅海の航路を開けるのは米国しかいない。欧州に費用を負担させろという大統領の要求については、現在国防総省と国務省と協議中である。
🔳ウォルツ補佐官:第1回のPC(閣僚級高官委員会)で述べたように、紅海の航路を開かせる能力は米国しか持っていない。メッセージの観点からするならば、この点も欧州が自らの防衛費を増額する必要の1つであろう。
🔳ヴァンス副大統領:国防長官が攻撃すべしと言うならば、攻撃するべきだろう。ただ、また欧州の窮地を救ってやるのは腹が立つ。
🔳ヘグセス国防長官:欧州による安全保障タダ乗りを副大統領が嫌悪するのは良く分かる。しかし、ウォルツが言うように、航路を回復するのは米国にしかできない。問題はタイミングだ。大統領が航路を再開させよという指令を出した以上、我々は実行すべきだろう。(筆者註:大統領はこの発言に関連して、3月25日、自分もタダ乗りだと思うと述べている。)
🔳スティ―ブン・ミラー大統領次席補佐官:私が知る限り、大統領の意思は明確であり、攻撃遂行である。但し、エジプトと欧州には見返りが必要なことを知らしめなければいけない。米国が多大なコストをかけてい航行の自由を回復した場合には、見返りに更なる経済的利益がひつようである。
🔳ヘグセス国防長官:賛成だ。
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(2)政策論議情報の意義
この政策論議の情報漏洩の意義は、先ず、トランプ政権における意思決定過程、即ち、どのようにして政策が決定されているのか、が敵対国を含め世界に露呈したことです。つまり、敵対国を含め世界の諸国に、トランプ政権に対処するための基礎情報を提供したのです。意思決定過程の可視化は、国内の民主主義にとっては望ましいことですが、対外関係、特に意思決定過程が閉鎖的な全体主義国家や権威主義国家との関係においては、諜報工作の足掛かりを提供することになり、好ましいことではありません。
次に、この政策論議の漏洩情報によって、トランプ政権幹部の思考法が赤裸々に露呈しています。その思考法とは、近視眼的な「アメリカ・ファースト」です。第二次世界大戦後、長らく米国が果たしてきた役割、即ち、自由で民主的な国際秩序の守護者という役割意識の欠落、或いは拒絶です。
ヴァンス副大統領は、紅海の航路は欧州にとって重要なのであるから、フーシ派攻撃は本来欧州の責任であるとして、米国が欧州の窮地を救うことに嫌悪感を示しています。この副大統領の姿勢に対して、ヘグセス国防長官は、欧州による安全保障タダ乗りを副大統領が嫌悪するのは良く分かると同調しています。更に、スティ―ブン・ミラー大統領次席補佐官は、フーシ派攻撃の見返りに経済的利益が必要であると述べ、大統領も同様な思考法をしている様子が伺えます。
即ち、トランプ政権には、自由で民主的な国際秩序の主導という戦後長らく米国が担ってきた役割を放棄し、国際関係を短期的な直接当事者の損得と打算で考える思考法が伺われます。正に近視眼的な「アメリカ・ファースト」感情が露出しているのです。
4月上旬、トランプ政権は、同盟国に対しても、予想を超える高関税を振りかざしましたが、その背景にあるのもこの感情であり思考法です。戦後、米国が主導してきた世界の自由貿易体制にも高い価値を置いていません。我が国の対外政策においては、このようなトランプ政権の性格を正しく把握して対処することが求められています。
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2 攻撃作戦予定情報
(1)漏洩した作戦予定情報
次に、漏洩した作戦情報を見てみます。ヘグセス国防長官は、15日11時44分にグループ・チャットで、フーシ派に対する攻撃作戦に関して、「現時点で気象良好、米軍中央司令部によれば攻撃準備完了」として、次の攻撃予定を知らせました。
〇 米国東部時刻12時15分(イエメン時刻20時15分):F-18(第1次攻撃部隊)出撃
(筆者註:報道によれば、F-18は空母ハリー・トルーマンから発艦)。
〇 13時45分:第1次攻撃部隊F-18による攻撃開始(標的のテロリストは、既知の場所にいる)。
〇 13時45分:攻撃ドローン(MQ-9s)出撃
(筆者註:報道によれば、ドローンは中東地域の地上基地から発進)。
〇 14時10分:F-18(第2次攻撃部隊)出撃。
〇 14時15分:攻撃ドローンの攻撃開始。
〇 15時36分:第2次攻撃部隊F-18の攻撃開始。
〇 15時36分:海上発射トマホーク、発射。
(2)作戦情報の漏洩の意味
この漏洩した情報は、現在進行中の作戦に関する情報です。F-18、MQ-9ドローン、トマホーク・ミサイルという武器情報、出撃時刻や発射時刻、更には、具体的な攻撃時刻など、今後の攻撃予定情報を漏洩してしまったのです。これらの情報は、国防総省や諜報コミュニティの指針によれば、当然Secret(極秘)以上に区分されるべき情報です。
仮に、これらの情報がフーシ派に漏洩した場合には、想定攻撃対象施設からの避難などによる損害軽減、或いは、対空ミサイルや対空砲の迎撃によってF-18パイロットの死傷などの可能性がありました。このような具体的な攻撃予定情報の共有は、軍の指揮系統内に限定されるべきであって、閣僚級高官であっても事前に全員に共有する必要はありません。正に、ヘグセス国防長官初めトランプ政権幹部の秘密保全、作戦保全に対する意識の低さが露呈しています。
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3 インテリジェンス情報
(1)漏洩情報
第一波の攻撃は13時45分に開始予定でしたが、その開始直後に、ウォルツ補佐官は、リアルタイムの攻撃結果報告に基づいて、「フーシPC小グループ」のメンバーに攻撃成果の情報を共有しています。
即ち、ウォルツ補佐官は15日13時48分と14時00分に2つのチャトを投稿していますが、まとめると次のようなります。「副大統領。第一攻撃目標であるフーシ派のミサイル責任者が、ガールフレンドのいる建物に歩いて入っていたが、建物は崩壊した。これについては多数の情報を持っている。ヘグセス国防長官、クリラ大将(中央司令官)、諜報コミュニティは素晴らしい仕事をした。」
また、15日の攻撃が一段落した17時20分(イエメン時刻25時20分)には「米軍中央司令部は、素晴らしい仕事をしている。今夜は攻撃が更に数時間続くが、現在までのところ、攻撃作戦の遂行は予定通りである。」
(筆者註:本攻撃に関しては、既述の通り、ヘグセス国防長官が、11時44分(イエメン時刻19時44分)の時点で「標的のテロリスト(フーシ派のミサイル責任者)は既知の場所にいる」と述べており、攻撃目標であるミサイル責任者の居場所を事前に捕捉していた事実を示しています。)
(2)インテリジェンス・ソース
このように、米国は、「フーシ派のミサイル責任者」の所在情報と攻撃成果に関する情報を保持しており、米国のインテリジェンス力が示されています。
ここでインテリジェンス源を推定すると、先ず確実なのは、ドローンによる情報収集です。ドローンによって画像情報と信号情報の取集が可能です。また、米国の国家シギント機関NSA(国家安全保障庁)による中近東を対象とするシギント活動によって、ミサイル責任者の動向を把握していたと思われます。また、ウォールストリート・ジャーナル誌の3月27日付報道によれば、本ミサイル責任者攻撃については、イスラエル諜報機関がイエメン内に持つヒューミント情報で支援したと言います。その背景は、バイデン政権が、昨年、フーシ派の軍事・政治指導者攻撃の選択肢を準備するために、イスラエルとサウディ両政府に対してインテリジェンス面での協力を依頼したそうです。その努力が今回の攻撃に貢献しているのです。
更に、また3月17日国防総省記者会見では、フーシ派の指揮命令センター(複数)やドローン専門家数人の居所を爆撃したと発表していますが、米国は、フーシ派の指揮命令センターやドローン専門家の居所を特定するインテリジェンス力も保持しているのです。
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4 シグナルの脆弱性
最後に、シグナルを使用した通信の秘密保持能力について述べます。
シグナルは、極めて秘密保持に適した通信アプリであると評価されています。即ち、端末間暗号(end to end encryption)を採用してサービス提供者のサーバーには通信内容の記録が残らず、且つ、端末でのデータ保持期間を限定してデータを自動消去することができます。しかし、このように秘密保持に適した通信アプリであるからと言って、秘密保持が完全だという訳ではありません。
今回の情報漏洩は、シグナルのグループ・チャットにアトランティック誌のジャーナリストを誤って招待してしまった結果発生しました。このような人為的なミス以外に、最大の弱点は、携帯端末自体のハッキングです。例えば、2024年7月FBIは元CIA女性分析官スー・ミー・テリーを外国代理人登録義務違反で逮捕しましたが、証拠としたのはテリーの携帯端末の通信内容でした。テリーは、暗号化通信アプリ(シグナルの可能性が高い)を使用して、データは通信後48時間で自動消去していました。しかし、端末間暗号もデータ自動消去も、端末がハッキングされれば無意味です。携帯端末のハッキングは至難な訳ではなく、例えば、イスラエル企業NSOグループが開発したマルウェア「ペガサス」は、携帯端末のハッキングにおいて殆ど無敵の性能を誇っています。アンドロイド端末であれば、所持者によるクリック手順なしでハッキングできるとされています。
また、ロシアのハッカー集団はシグナル通信の傍受に力を入れています。そこでNSAは2025年2月内部資料(F9T53 OPSEC Special Bulletin)で職員に警告を発しました。即ち、シグナルの「リンク端末機能」(”linked devices” feature)を使うと、リンクした端末でチャットや音声メッセージを同時に受信することができます。ハッカー集団はマルウェアのQRコードをフィッシング用の偽造ウェブページに仕込んだり、グループ・チャットの招待リンクに隠したりして侵入し「リンク端末機能」をオンにすると、全メッセージをリアルタイムでハッカーの端末で傍受できるようにするのです。
今回の事案で、米国政府高官の秘密保全の杜撰さが明らかとなりましたが、ロシア政府高官はどうでしょうか。この点について、元NSA高官によれば、ロシア政府の高官は秘密保持に極めて厳格であり、ロシア政府高官の私用の民間用通信をハッキングしても情報価値のある通信は得られないそうです。従って、NSAがロシア高官を標的としてハッキングする場合は、私用の通信機器はではなく、必ず公用の秘匿通信システムを標的とするといいます。(以上)