我が国警護制度の課題と改善策(安倍元首相暗殺に関連して)

 本暗殺事件についての最近の警察OBのコメントには、個別の過失や「油断」の指摘が多い印象を受けます。しかし、今回の事件は警察官の人為的過失や油断が重なった特殊例外な出来事なのでしょうか。私は、そうではなくて、我が国の警護体制・慣行に内在する欠陥がたまたま露呈したものと考えます。

 私は既に「政治家の行動様式、都道府県警察という制度的制約、警視庁警護課の人員など警護に振り向けている人員装備の現状、我が国警察の情報収集力の弱体など」に課題があると指摘しましたが、その中の警護体制と慣行について課題をより詳しく述べた上で、最低限の改善策を提案します。

1 大前提:脅威評価とインテリジェンス力

 先ず、政治家に対する暗殺や攻撃の歴史を見ると、戦前は多数の暗殺事件がありましたが、戦後でも浅沼稲次郎暗殺、金丸自民党副総裁暗殺未遂、今回の事件、その他総理大臣に対する殺人予備など報道されていない事件を含めると、我が国の政治家に対する暗殺企図、攻撃事件は先進民主主義国家としては多い方である、即ち脅威度は高い方であると認識しています。(まあ、米国は別格ですが。)

 他方、我が国警察の暗殺企図などを把握するインテリジェンス力は、基本的に国家安全保障目的の固有の調査権限が認められていないため、極めて弱体です。これについては既に「安倍元首相の暗殺事件(元警護室長の所感)」で言及しました。

 脅威度が高く、インテリジェンス力が弱体ですから、警護体制は米国には及ばずとも少なくとも西欧諸国よりは強化されていなければなりません。

2 諸外国の一般的警護体制:国家警護機関で一元化

 警護室長をしていた際に、総理国外出張や来日国賓公賓警護で、諸外国の警護組織の在り方を学びましたが、諸外国では警護は国家機関が担当しています。警護警備には、種々の構成要素がありますが、身辺警護と行先地警護を取り上げて具体的に述べると次の通りです。

(1)(身辺警護)先ず重要なことは、少なくとも身辺警護は、国家警護機関が一元的に担当していることです。それは当然です。身辺警護チームは一体として機能しなければなりませんが、そのためには相互の連携・意思疎通が必須です。府県境を越える度にそのチーム編成が変わるようでは効果的な身辺警護は成し得ません。更に、警護対象者の行動習慣を熟知していなければ、身辺警護員は警護対象者の動きに多くの注意力を割く必要が生じ、周囲への警戒力が低下します。車列警護も同様で、府県境を越える度に(地元警察の先導車両や交通規制用車両などは別として)警護車列に変更があるようでは、良い警護は出来ません。

(2)(行先地警護)次に重要なのは、行先地警護に対する指導調整です。行先地警護の人員のどれだけを国家警護機関が配置するのか、地元警察が配置するのかは、国によって異なりますが、重要なことはどの国でも地元警察の行先地警護の指導調整は国家警護機関が行っているということです。これも考えてみれば当然です。地元警察の警護警備に関する知識経験は千差万別であり、常に高い専門性を保有する訳ではないからです。むしろそれを期待する方が無理なのです。(我が国警察では訓練さえすれば全ての県警察で高度な警護警備ができると思い込んでいる人もいるようですが、人員が少なく経験値の低い県警察において満足する水準まで訓練して練度を上げるには、他の警察業務を犠牲にしなければなりません。)

 この行先地警護の指導調整で優れているのは、米国SSのサイトエージェントです。SSサイトエージェントは、場合によって数週間前から行先地に先着して、現地警察の警護警備措置が満足できるレベルなのか指導調整をします。実際に訪問日程が始まると、警備措置を熟知したサイトエージェントが直前にOKサインを出さなければ大統領は現着しません。現着した後はサイトエージェントが動線の先導を含め同行身辺警護員の支援を行います。警護現場は常に流動的であり、状況は刻刻変化します。計画段階から関与しているサイトエージェントが現場にいることによって臨機応変の対応が可能となるのです。

3 我が国の警護体制の現状と今次事件との関係

 さて我が国の現状はどうでしょうか。諸外国にある国家警護機関は存在しません。その役割の多くは警視庁警護課が担っています。しかし、そこには大きな課題があります。

(1)(身辺警護)第1に、熟練した身辺警護員、即ち警視庁SPの数が十分ではありません。警視庁警護課の人員が少ないために、警護対象者に対する脅威度から判断して必要な数だけSP身辺警護員が配置されていない場合が多いと思います。また、人員不足のためSPは恒常的に過労状態にあると思います。

 これでは都内日程ですら身辺警護は不十分なのですが、警視庁は人員が潤沢で経験があります。警視庁では、警備部長以上が指揮する警備実施となると、警備部全体(時には警視庁全体)の取組となり機動隊員を含め極めて潤沢な行先地警護員の配置が可能となります。また、そうでない選挙警護警備でも警察署長指揮で相当数の署員を動員できます。これによって身辺警護員の不足を補っているのです。しかしこれは、警視庁という人員装備が潤沢な組織で、且つ普段から警備実施が多く警察署にノウハウが蓄積されている組織であるから可能なのです。他の全ての県警察に同じことを期待するのは無理な注文です。

 地方日程では、SP身辺警護員の不足が露呈します。今回の事案では直近のSPは1人しかいませんでした。安倍元総理大臣に対する潜在的脅威度を考えれば、地方日程でもSP身辺警護員が3~4人は必要だったと思いますが、警視庁警護課にはそれだけの人員がいないのです。小生が警護室長時代に知ったSPの能力と使命感から判断して、もし警視庁SP3~4人が身辺警護チームとして且つ身辺警護の主たる責任者として就いていれば、今回の攻撃は抑止できた可能性があり、仮に抑止できなかったとしても自らの身を挺して安倍元総理大臣を守り得たと確信しています。

(2)(行先地警護)第2に、行先地警護の指導調整です。報道によれば、今回の事案では、安倍元総理の警護計画は警察庁警備局警護室に対する報告事項でもなく、警察庁の指導調整はありませんでした。また、警視庁SPのサイトエージェントや先着警護員もいませんでした。そのため、県警の能力がそのまま露出してしまいました。マスメディアでは、警察OBがその過失について種々論評をしていますが、現在の警護体制・慣行を続ける限り、そのような過失は他県警でも起こり得ることです。

 仮に、警察庁警備局警護室が事前に警護計画の報告を受け指導していれば、現場の県警警護員の配置運用はより良いものになっていたと考えます。しかし、警護室にはそれだけの業務を行う人員がいないのです。また、警視庁SPがサイトエージェント又は先着警護員として現場にいたならば、現場の県警警護員の配置などについても、県警の現場指揮官に助言が出来たと思いますし、行先地警護の弱点を自ら補強することもできたでしょう。しかし、警視庁警護課にはサイトエージェント又は先着警護員として派遣するためのSPはいないのが現状です。

(3)(警護現場の在るべき姿)以上をまとめると、今回の安倍元総理大臣の警護を例に挙げると、最低限でも次の取組が必要でした。警察庁警備局警護室の全般的な指導の下に、警視庁SPの身辺警護員が3~4人、警視庁SPのサイトエージェント又は先着警護員1人、それに地元県警の本部警備部と警察署の行先地警護員という態勢をとる必要があったのです。しかし、都道府県警察という制度的制約、警視庁警護課の人員などの制約から、この在るべき態勢をとって来なかったのが我が国の警護制度の現状なのです。

4 最低限の改善策

 抜本的な改善策と言えば、相当規模の国家警護機関の創設が必要でしょう。しかしながら、それは現行警察制度に大変革をもたらすことであり、人事装備予算その他多くの困難が予想されます。次善の改善策は、警視庁に(現在の警備部から分離して)警護部を創設して実質的な国家機関として抜本的に強化することです。しかし、これも実現には困難が予想されます。そこで、現状を前提に私の考える必要最低限の改善策を挙げると次の通りです。

(1)第1に、警視庁警護課のSPを大増員することです。積み上げた数字ではなく小生の大雑把な感覚ですが、最低限SPを400人程に増強することが必要でしょう。これによりSPの運用にも余裕が生まれ、地方日程に派遣する身辺警護員SPを増やすことが可能になります。また、脅威度の高い警護対象者の地方日程について先着警護員を派遣することが可能となります。

(2)第2に、警察庁警備局警護室の人員を大増員することです。そうすれば、脅威度の高い警護対象者の個別日程の警護態勢について、県警を具体的に指導することが可能となります。

(3)第3に、地方日程についての警察庁警備局警護室と警視庁警護課との緊密な連携です。具体的には、特定の警護対象者について、まず、警察庁警護室で県警の警護計画を個別指導する必要があります。選挙警護では日程が直前に決まることも多いため、警護計画の詳細まで指導する時間はないかも知れませんが、少なくとも、警護対象に対する脅威認識の再確認(警護レベルの設定)と基本的な警護方針については、認識を共有することができるでしょう。その上で、現場に先着した警視庁SPが、警護対象者の動線や県警警護員の配置運用を把握した上で、県警の現場指揮官に助言し、必要とあれば不足を自ら補うようにするべきです。更に、警察庁警護室では、個別の警護現場に先着した警視庁SPから県警の警護措置について評価報告(after-action report)を求め、その後の指導に役立てる仕組を作る必要があります。

 以上の3点は、必要最低限の改善策です。警察庁は8月中には改善案を提案するそうですが、その改善案が私の考える必要最低限の改善案を大幅に上回るものとなることを心から祈っています。

 なお、先日(2022年3月25日)の札幌地裁判決は、警護実施に支障を及ぼす判決だと思います。政治家の選挙演説中に罵声を浴びせる者は敵意を表明する者であり、また罵声を浴びせる行為は選挙活動又は政治活動の妨害行為です。これを排除したら違法という判決が定着すれば、警護員は不審者への声掛けや現場からの排除ができなくなります。裁判官は暗殺の責任は取ってくれません。警察現場は本判決に萎縮することなく、政治家の生命身体と政治活動の自由を守ることを通して、我が国の民主主義を守って頂きたいと思います。

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